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クレルモン宗教会議

1095年、ローマ教皇ウルバヌス2世が聖職者に対し改革の徹底を呼びかけ、十字軍運動を呼びかけた。聖職者・民衆に大きな反響がおこり、十字軍開始の契機となった。

クレルモン=フェラン GoogleMap

フランス東部のクレルモン(現在のクレルモン=フェラン市)で、ローマ教皇ウルバヌス2世が主催したローマ=カトリック教会聖職者の宗教会議。ウルバヌス2世が1095年11月27日、十字軍運動を布告したことで有名であるが、会議そのものの主題は聖職売買の禁止や聖職者妻帯の禁止、聖職叙任権の奪回などの教会改革についてであった。
 この会議の最後に、集まった数千人の聖職者や民衆の前で大演説を行ったウルバヌス2世は、熱烈な調子で異教徒トルコ人に奪われた聖地イェルサレムの奪回とともに、「乳と蜜の流れる国」への移住を呼びかけた。熱狂した民衆は、「いますぐイェルサレムへ!」と自ら十字軍先発隊を結成したという。<橋口倫介『十字軍』1974 岩波新書>
注意 公会議か宗教会議か この会議はクレルモン公会議と言われることもある。山川出版社の詳説世界史ではニケーアなどが公会議なのにここだけは「クレルモン宗教会議」としてある。他の教科書では「クレルモン公会議」としている例が多い。山川出版の用語集では「クレルモン宗教会議(公会議)」、実教出版の用語集は「公会議」、三省堂の用語集は「公(宗教)会議」、どちらでも良さそうな書き方だ。これは公会議の解釈の違いがあるためで、混乱している。厳密にはローマ教会の公認の「公会議」には入っていないという見解もあるので、ここでは「クレルモン宗教会議」の方を採ることとする。 → 公会議の項を参照

会議の決定事項とウルバヌス2世の演説

 クレルモン宗教会議(公会議)は、1095年11月18日から28日まで開かれ、300余名の聖職者(大司教13名、司教225名、州土院長90名)が参加し、広範囲な事項を決定した。すなわち、俗人による叙任、シモニア(聖職売買)、聖職者の結婚、これらを禁止する教令が再度決定された。「神の平和」も支持された。ただし、ドイツやイングランドの司教たちは参加していなかった。(この会議が叙任権闘争の一環としての改革派の集会であることが分かる)
 教皇ウルバヌス2世は11月27日、十字軍への最初の呼びかけを行った。当時の報告に依れば、会場のカテドラルにはいりきらないほどの人数が集まり、ウツバヌスの情熱的な呼びかけは市門前の広い野外で群集に向けて行われた。東方のキリスト教徒の苦しみ、異教徒たちによる虐待と聖都イェルサレムの解放の必然性についての協力で劇的な演説は、民衆に熱狂的に受け入れられたと年代記は伝えている。すでにそこで「神、そを欲したもう」という十字軍のモットーが示されたと思われる。<池谷文夫『ウルバヌス2世と十字軍』世界史リブレット人 2014 山川出版社 p.46 筆者は「クレルモン公会議」としている。>