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トルコ=イスラーム文化

イスラーム化したトルコ人によって生み出された文化。ティムール朝時代に中央アジア・サマルカンドを中心に発展し、オスマン帝国の文化に継承された。

 14世紀末、中央アジアのトルコ人居住地域とイラン高原のイラン人居住地域にまたがるティムール朝が成立したことによって、イラン=イスラーム文化がトルコ人にも伝えられ、トルコ人を主体とするイスラーム文化がさらに発展し、高度な文化が形成された。
 トルコ人のイスラーム化が進むなか、11世紀のカラハン朝で世界最初のトルコ=アラブ語辞典であるカシュガリー『トルコ語辞典』が編纂されていたが、トルコ=イスラーム文化が開花したのがティムール朝でり、その中心と帝国の二つの都、サマルカンドヘラートにおいてであった。

都市の文化

 これらの都市には、広大なモスク(イスラーム寺院)やマドラサ(学校)が建設され、さらにハーンガーフ(巡礼者のための公共宿泊施設)、ハンマーム(公共浴場)などが建設された。また、宮廷では細密画(ミニアチュール)が描かれ、それとともにアラビア語をさまざまな書体で表現するアラビア書道が発達した。また文学では、すぐれたトルコ語(チャガタイ=トルコ語)の文学作品が生まれた。それは中央アジアの遊牧民の口承文学を伝えるとともに、イラン=イスラーム文化を継承した叙情的な作品を残している。ティムール朝のトルコ=イスラーム文化の多面性の一つに、ウルグ=ベクがサマルカンドに建設した天文台にみられるような独自の科学の発展もある。

ミニアチュールの発達

 もともと偶像崇拝の禁止されているイスラーム世界で、コーランなどの写本を飾る装飾としてミニアチュール(細密画)は生まれた。モンゴル時代のイランのイル=ハン国で中国絵画の影響を受けて始まり、ティムール朝の宮廷で最高の水準に達した。特にティムール朝末期のスルターン=フサインのヘラートの宮廷には、イスラーム世界が生んだ最高の画家と言われるビフザード(1450頃~1534)をはじめとする多くの画家が活躍した。

チャガタイ=トルコ語文学の発達

 中央アジアにおけるトルコ語の形成には、11世紀のカラ=ハン朝のカシュガリーによる『トルコ語辞典』の編纂から始まるが、このティムール朝時代のヘラートで活躍したアリシール=ナヴァーイーが、「チャガタイ=トルコ語」を文章語として完成させ、現在「ウズベク文学の祖」として顕彰されている。他にティムールと同時代の叙情詩を残したハーフィズ(イラン人でコーランの暗唱社であったことから暗唱を意味するハーフィズを筆名とした)、15世紀にヘラートで活躍したジャーミー(イラン人だがチャガタイ=トルコ語で作品を書いた。代表作はペルシア語で書いた長編叙事詩『七王座』)などが名高い。
 また次のムガル帝国の創始者バーブルの自伝である『バーブル=ナーマ』も、すぐれたトルコ語文学として重要である。<間野英二『中央アジアの歴史』1977 講談社現代新書などによる>

オスマン帝国の文化

 16世紀に最盛期を迎えるオスマン帝国において、トルコ=イスラーム文化は頂点に達した。イスタンブルのトプカプ宮殿に見られる豪勢なスルタンの宮廷文化、ミマーリ=シナンの設計によるスレイマン=モスクなどのモスクやマドラサの建築群、建築に見られるアラベスク模様、ミニアチュールなどが爛熟した。また文学ではスレイマン1世時代の詩人バーキーなどが活躍した。スレイマン1世の時代はその最盛期であり、この時期のトルコ=イスラーム世界はルネサンスを経ていたヨーロッパ人も羨望するような高度で多岐にわたる文化を有していたことに注意しておこう。

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