アドリアノープル/エディルネ
ローマ皇帝ハドリアヌス帝が建設した都市。ギリシアの北方、バルカン半島の要衝にあり、商業が発展するとともに、古来幾たびか戦場となった。バルカン半島に進出したオスマン帝国は1361年ごろにこの地を占領、後に都としエディルネといわれるようになった。
ローマ時代
この都市は、ローマの五賢帝の一人ハドリアヌスの建設した都市で、その名からラテン語でハドリアノポリスと言われた。そのギリシア名がアドリアノープルである。この地は、ローマ帝国が東西に分かれていく前の重要な地点にあったことから、4世紀に次のような重要な戦闘が三度にわたって行われている。324年7月3日にはコンスタンティヌスが西の皇帝として、東の皇帝リキニウスとの最終決戦をこの地で行い、勝利して単独皇帝として帝国を支配するきっかけをつかんだ。
351年には、コンスタンティヌス大帝の次のローマ皇帝となったコンスタンティウス2世に対して、ガリアを拠点にして反旗を翻し、自らも皇帝を名のったマグネンティウスが戦いを挑んだが敗れた。
378年には、ドナウ川を越えてローマ領に移動した西ゴート人人が反乱を起こしたことに対し、ローマ皇帝ヴァレンスが鎮圧に向かったが、この地の戦いで皇帝が戦死するという敗北を被った。
その後、ローマ帝国が東西に分裂すると、バルカン半島に位置するアドリアノープルは東ローマ領(ビザンツ帝国)陵とされる。
オスマン帝国による征服
14世紀にオスマン帝国は、バルカン半島に進出を開始、その過程で、ムラト1世は、1361年ごろこの地を占領し、さらに1366年にそれまでのブルサに替わるオスマン帝国の新しい都とした。オスマン帝国の都となってからはエディルネと改称された。1453年に都がイスタンブルに移るまでの都であり、それ以後もオスマン帝国第2の都市として栄えた。現在もトルコ共和国のヨーロッパ領土として残っている。