アカデミー=フランセーズ/フランス学士院
1635年、フランス・ブルボン朝の宰相リシュリューによって設立され、現在も続く学術の最高機関。
1635年、ブルボン朝のルイ13世のもとで宰相を務めていたリシュリューが設立した学術機関から始まった。当初の目的は、「国語」としてのフランス語の統一と洗練という文化政策にあり、パリの文化人サークルを公認して学術機関としたものであった。フランス語辞典の編纂は1694年に終え、ルイ14世に献呈された。
ルイ14世のもとでコルベールもアカデミー=フランセーズに財政支出を行った。こうしてアカデミー=フランセーズは王室の管理下にあって、一流と認められた文学者が入会し、次第に文学以外の諸分野の学者も加えられて、学術の最高権威を持つ機関として存続することとなった。コルベールはまた1666年に「フランス王立科学アカデミー」を創設した。これは1662年のイギリスのロンドン王立協会に続くもので、自然科学分野の公的学術機関であった。
ナポレオンは第一統領であったとき、権力の集中に批判的な言論を厳しく弾圧した。さらに反対派の拠点となるおそれのある機関に対しても矛先を向け、フランス学士院の倫理・政治科学部門を1803年初めに廃止した。「イデオローグ」と総称される多様な知識人からなる集団にまじって、共和主義のリベラル派が活動していたからである。その後、この部門の学士院会員は第二、第三、第四の各部門に振り分けられ、さらにこの三部門自体が、第一統領の意向にもっとも沿う活動を行うよう改変された。<ジェフリー・エリス『ナポレオン帝国』p.58>
ルイ14世のもとでコルベールもアカデミー=フランセーズに財政支出を行った。こうしてアカデミー=フランセーズは王室の管理下にあって、一流と認められた文学者が入会し、次第に文学以外の諸分野の学者も加えられて、学術の最高権威を持つ機関として存続することとなった。コルベールはまた1666年に「フランス王立科学アカデミー」を創設した。これは1662年のイギリスのロンドン王立協会に続くもので、自然科学分野の公的学術機関であった。
フランス革命とナポレオンの時代
1793年8月8日に、アンシャンレジームのすべてのアカデミー(学術文化の興隆による国威発揚を目的に学問・芸術の各分野のなかでもっとも優れた者をあつめてつくられた団体)が廃止され、95年に国立道徳・芸術学士院が設立された。学術文化に関する政府の諮問機関で三つの部門に分かれた。ナポレオンは1797年12月にイタリア遠征からパリに戻り、歓呼の声で迎えられ、その住居のあった街路はヴィクトワール(戦勝の意味)街に改名された。そして12月25日にはフランス学士院会員に選出される栄誉を与えられている。<上垣豊『ナポレオン』p.22>ナポレオンは第一統領であったとき、権力の集中に批判的な言論を厳しく弾圧した。さらに反対派の拠点となるおそれのある機関に対しても矛先を向け、フランス学士院の倫理・政治科学部門を1803年初めに廃止した。「イデオローグ」と総称される多様な知識人からなる集団にまじって、共和主義のリベラル派が活動していたからである。その後、この部門の学士院会員は第二、第三、第四の各部門に振り分けられ、さらにこの三部門自体が、第一統領の意向にもっとも沿う活動を行うよう改変された。<ジェフリー・エリス『ナポレオン帝国』p.58>