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サンキュロット

「半ズボンをはかない人」の意味で、フランス革命での革命的な民衆をいう。1792年ごろから革命を前進させる主力となった。

サンキュロット
サンキュロットの男女
芝生瑞和編『図説フランス革命』河出書房新社 p.120
 キュロットとは半ズボン(短ズボン)のことで、貴族が着用していた。サンキュロット sans-culotte とは「キュロットをはかない」の意味で、職人や商店主などの市民、小ブルジョワと言われる人々を指している。もともとは貴族が下層民に対して用いた蔑称であったが、フランス革命期には革命を推進する人々を指す言葉として一般化した。革命派の中のエリートであるジャコバン派は議会での演説を武器としたが、同じ革命派でもサンキュロットと言われた人々は行動を武器とした。

サンキュロットの登場と後退

 サンキュロットが革命の舞台に登場するのは、1792年の反革命軍の迫るなか、パリの蜂起コミューンに結集し、王権停止などを掲げてテュイルリー宮殿を襲撃した8月10日事件の前後からであり、その結果、王権停止、男子普通選挙による国民公会の設置などの「第二革命」を勝ち取った。さらに彼らはオーストリア・プロイセン、および亡命貴族らによる反革命軍との戦いでも義勇兵として参加し、戦った。特に同年9月20日のヴァルミーの戦いでも、フランス軍の勝利に大きく貢献した。国民公会では議会内のジャコバン派に呼応して、革命の収束をはかるジロンド派にたいして強く反発し、議会外で行動した。ついには1793年の6月、議会を武力で包囲し、ジロンド派の追放を強行して、ジャコバン派の政権を成立させた。このように、サンキュロットはまさに1792~1794年の共和政を実現した政治勢力であったと言える。しかし、ロベスピエールとジャコバン派がテルミドールのクーデタで失脚、総裁政府の段階になると、上層ブルジョワが政治権力を握り、サンキュロットは次第に政治の舞台から後退していった。

Episode 「君・僕」と話したサンキュロット

 サンキュロットの説明は「下層市民」とくくられてしまうことが多く、そのイメージも分かったようでよく分からない。いくつかの概説書で、最もわかりやすい説明は次の文ではないだろうか。
(引用)多数の労働者がいつでも行動を起こせる。彼らはサン・キュロットと呼ばれている。1791年と1792年の転換期に出現した新しい政治・社会的な類型である。彼らは最下層ブルジョワジーの揺れ動く境界線にいる《職人層》(小売店、手仕事)の出身であり、今や革命の(そして恐怖政治の)典型的な活動家として重きをなしている。版画によって不滅となった服装、カルマニョール服、縞のあるズボン、赤い縁なし帽、手に槍を持ち腰にサーベルを差している。口髭をたくわえた者も、そうでない者もいる。サン・キュロットは友愛と共和主義を表すために君・僕で話す。彼らが最も信頼しているジャーナリストはマラー(『人民の友』)とエベール(『デュシェーヌ親父』)である。彼らを支配する感情は、たぶん困苦欠乏への恐れである。ユーモアのセンスを欠く彼らは、現実に対するひどい無知と猛烈な政治的軽信をあわせもっている。<F.ブリュシュ他/国府田武訳『フランス革命史』1992 文庫クセジュ 白水社 p.105>
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書籍案内
『フランス革命史』
ブリュシュ、リアル、テュラール/国府田武訳
『フランス革命史』
文庫クセジュ 白水社 1992

芝生瑞和編
『図説フランス革命』
1989 河出書房新社