ナポレオンのポルトガル征服
1807年、ナポレオンがイギリスとの貿易を続けるポルトガルに軍を派遣し制圧。ポルトガル王室はブラジルに逃れる。
ポルトガルは、スペインによる併合の後、1640年に「再独立」し、植民地支配を維持していたが、その後は次第にイギリスへの経済的従属が強くなっていた。ナポレオンは大陸封鎖令の翌年の1807年7月、大陸側諸国で唯一フランスに従わずイギリスと結んでいたポルトガルに対して、イギリスと断交し、そのすべての港をイギリスに使用させないよう要求した。ポルトガルがそれを拒否すると、1807年11月13日にジュノー将軍の率いるフランス軍がスペイン軍と連合して侵攻し、リスボンを占領した。
本国ではイギリス軍に支援されたポルトガル軍がフランス軍に抵抗を続け、民衆もそれを支持して次第に国民国家形成への動きが強まった。ポルトガル北部の諸都市では民衆が蜂起し、1808年8月にはイギリス軍がウェルズリー卿(後のウェリントン公爵)が上陸してポルトガル軍とともにフランス軍を破った。翌1809年にもイギリス軍の増援部隊が続き、フランス軍と戦った。しかし、戦いが長期化したことでポルトガル本国の経済は落ちこみ、政治・軍事面ではイギリスへの従属が強くなった。
ブラジルでも急速に分離運動が広がり、ペドロを国王として担いで、1822年9月7日、サンパウロでブラジル独立が宣言された。ペドロは同年10月、ブラジル皇帝ペドロ1世として即位した。しかしこれによって大西洋をまたいだ植民地大国としてのポルトガル王国の実態は消滅し、その海外領土はアフリカのアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウとインドのゴア、中国のマカオなどのみとなった。ポルトガルは植民地ブラジルを喪失したことで大きく動揺し、臨時政府に対する反発が強まる中、立憲議会制や自由化に反対する反動派の動きが強くなり、その後、内戦状態となっていく。 → ポルトガル(5)
ポルトガル王、ブラジルに避難
ポルトガルの上層部には全く抵抗の意思はなく、1807年11月29日、ポルトガル女王マリア1世と王族と貴族、高級役人とその家族ら、1万5千人ほどがイギリス海軍の保護のもとにリスボンを離れ、植民地ブラジルに避難した。その結果、ポルトガルは1808年から1821年までの14年間はリオ=デ=ジャネイロを首都とした。本国ではイギリス軍に支援されたポルトガル軍がフランス軍に抵抗を続け、民衆もそれを支持して次第に国民国家形成への動きが強まった。ポルトガル北部の諸都市では民衆が蜂起し、1808年8月にはイギリス軍がウェルズリー卿(後のウェリントン公爵)が上陸してポルトガル軍とともにフランス軍を破った。翌1809年にもイギリス軍の増援部隊が続き、フランス軍と戦った。しかし、戦いが長期化したことでポルトガル本国の経済は落ちこみ、政治・軍事面ではイギリスへの従属が強くなった。
本国とブラジルの立場逆転
一方王室が移ったブラジルは、イギリスとの貿易が増加したことで潤った。対仏戦争前のポルトガルは全貿易の4分の3を占めていたため大きな影響を受け、本国の関税収入は激減したヨーロッパでは1812年にナポレオンがロシア遠征での敗北を境に急速に後退し、スペインでもフランス軍が敗れるという状況の変化が現れると、翌1813年に本国側はブラジルの政府に帰国要請をしたが、王室はブラジルを離れることを拒否した。それはヨーロッパでウィーン会議が開催され、ナポレオンの百日天下も潰えて、秩序が回復されても変化しなかった。それどころか、1815年にはブラジルを植民地から本国と対等の王国に昇格させ「ポルトガル=ブラジル=アルガルヴェ連合王国」を成立させた。翌16年、マリア1世が死去してジョアン6世が即位したが、その時にはブラジルの人口はすでに本国を上回っており、植民地と宗主国の立場は逆転した感があった。<立石博高編著『スペイン・ポルトガル史』下 2022 山川出版社 p.184- >王室の帰還とブラジルの独立
ポルトガル国王ジョアン6世が、ブラジルから戻ったのは、ナポレオンが倒れてからかなり立った後の1821年であった。帰国が実現したのは、本国で自由主義と立憲政治の樹立を求める勢力が、イギリスの実質支配に反発して決起し、1820年に臨時政府が結成され、21年に召集された立憲議会(コルテス)が要請したためであった。要請を受けてジョアン6世は1821年7月、リスボンに帰着、ブラジルには長男のペドロを摂政として残した。ブラジルでも急速に分離運動が広がり、ペドロを国王として担いで、1822年9月7日、サンパウロでブラジル独立が宣言された。ペドロは同年10月、ブラジル皇帝ペドロ1世として即位した。しかしこれによって大西洋をまたいだ植民地大国としてのポルトガル王国の実態は消滅し、その海外領土はアフリカのアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウとインドのゴア、中国のマカオなどのみとなった。ポルトガルは植民地ブラジルを喪失したことで大きく動揺し、臨時政府に対する反発が強まる中、立憲議会制や自由化に反対する反動派の動きが強くなり、その後、内戦状態となっていく。 → ポルトガル(5)