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立憲民主党/カデット

ロシアのブルジョワ自由主義政党。二月革命で成立した臨時政府で中心となった。

 ロシア革命期の政党で、通称カデットという。1905年にブルジョア階級の自由主義者が結成した政党で、ツァーリズムの専制政治に反対し、立憲君主政の実現を目指した。ミリュコーフらが中心。第1次ロシア革命で成立した国会(ドゥーマ)では第1党となり、立憲君主政の定着を狙ったが、ニコライ2世のツァーリズムを克服することはできず、ロシアの第一次世界大戦参戦を容認した。
 1917年、ペトログラードの市民・労働者の武装蜂起によって二月革命(三月革命)が勃発し、臨時政府が成立すると、立憲民主党のリヴォフ公が首相に推され、権力の中心となった。このカデット臨時政府は社会革命党(エスエル)ケレンスキーも法相として加わり、一定の社会改革も目指したが、本質は議会政治によるブルジョワ共和政国家を目指すものであり、第一次世界大戦に対しても連合国との関係を重視して戦争の継続を主張した。臨時政府に対抗して、労働者・農民が各地で組織したソヴィエトは、戦争の即時停止と社会改革を要求し、ロシアは二重権力の状態となった。
 臨時政府は閣僚間の対立などから維持できなくなり、7月にケレンスキーが臨時政府首相となったため、立憲民主党は後退し、その後、十月革命(十一月革命)が勃発して、ケレンスキー内閣が倒されると、同年の内に立憲民主党は非合法とされ、翌年ボリシェヴィキ独裁体制が確立する。

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