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イブン=サウード(アブドゥルアジズ)

アラビアの豪族サウード家の当主。リヤドを中心に自立し、サウジアラビア王国を建国した。

イブン=サウド
イブン=サウド
1880-1953
 本名はアブドゥルアジズ(アブド=アル=アジズとも表記)。アラビアのネジド(アラビア半島中央部)地方のリヤドの豪族サウード家の当主。サウード家はイスラームの改革派ワッハーブ派の有力な支持者であった。第2次ワッハーブ王国が内紛のために滅亡してリヤドを追われ、父とともにクウェートで亡命生活を送る。1902年、わずか20そこそこのイブン=サウードはわずか5~6人の手勢でリヤドに奇襲をかけて奪還に成功した。その後も敵対するラシード家との抗争が続き、分裂状態が続いた。1913年にイブン=サウードは半島東部のアル=ハサ地方のオスマン帝国と結んでいる勢力を奇襲して制圧した。

ワッハーブ派との結びつき

 その戦いの中でイブン=サウードは、ワッハーブ派の信仰によって部族を超えて結束したイフワーン軍団(イフワーンとは同胞の意味)という強力な軍隊を組織し、強力な軍事力を持つようになった。一方、西部アラビアでは第一次世界大戦中にオスマン帝国の支配に対してヒジャーズ(紅海沿岸地方)のハーシム家フセインが独立運動(「砂漠の反乱」)を起こし(それを支援したのがイギリスのロレンスだった)、1918年にヒジャーズ王国として独立宣言をした。これに対してリヤドを中心としたイブン=サウードが対立、大戦が終わった後の1918~20年にたびたび対戦した。

ハーシム家フセインとの戦い

 1924年にフセインがカリフを称すると宣言したことに対してアラブ各地で反発が生じ、その期にイブン=サウードはヒジャーズ王国攻撃を決意、メッカはイフワーン軍団への恐怖心からほとんど戦わず開城してフセインは退去し、港町ジェッダは約1年の抗戦の結果投降した。
(引用)イギリスの介入をなお恐れるアブドゥルアジーズ(イブン=サウード)はリヤードで「形成傍観」を決め込んでいた。しかし、イギリスをはじめ諸外国がヒジャーズとナジトとの紛争には不介入の姿勢であることを知ると、1924年11月、アブドゥルアジーズはようやくリヤードを出発、ターイフを経由した後、12月初め白衣の巡礼衣装に身を包んでメッカ入りし、直ちに大モスクで祈りを捧げた。<岡倉徹志『サウジアラビア現代史』2000 文春文庫 p.79>
 ヒジャーズ王国のフセイン国王は退位してアカバに退き、その長子アリーが国王となったが、メッカの防衛を放棄し港町ジェッダに引きこもった。1925年1月、イブン=サウードはジェッダ攻撃を開始、1年ほどの包囲戦の末、12月にアリーは降伏、イブン=サウードの被ジャース平定は終わりを告げ、1926年1月8日に正式にヒジャーズ=ネジド王国を樹立した。イエメン・オマーンなどを除くアラビア半島をサウード家が支配することとなり、こうした事実をイギリスも認めざるを得ず、イブン=サウードはその支持も受けて、1932年にはサウジアラビア王国として初代の国王となった。

イブン=サウードの政治

 1932年から1953年の彼の統治期は、第二次世界大戦と戦後の冷戦の開始時期に当たり、非常な困難があったが、アラブ世界のリーダーの一人として強力な指導力を発揮した。彼の権力は国王としての世俗的な政治権力と、宗教指導者であり、イスラーム法の施行者でもあるという宗教権力の二面があった。また、ベドウィン(遊牧民)の部族対立を調停しながら国王への忠誠を維持させることに心血を注いだ。その面では「父権的政治」でもあり、それを支えたのは莫大な石油収入であった。石油収入を含むすべての国家財政は国王の個人的財布に収められたが、入ると同時にそれはたちまちばらまかれた。イブン=サウードには「1000と100万の区別もつかなかった」、といわれる。<小山茂樹『サウジアラビア』1994 中公新書 p.82>

Episode 19人の妻、58人の子

 イブン=サウードは身長1m88センチ、強く突き出た鼻、厚い唇、太い眉毛と濃い顎髭。すべてのスケールが常人をひときわ抜き出ていた。サウジアラビア国王として統一をすすめるため、有力部族と婚姻関係を結んだ。その結果、彼は生涯(1953年没)に19人の妻を持ち、そこから36人の王子を含む58人の子供が生まれたという。現在サウジアラビアはこの初代国王から第3世代、第4世代に入りつつあるが、王家の直系王子はすでに400人を数え、傍系も含めればその数は1万人に達する。このため、王族手当の支給額が膨大になるため、たびたび王族(ロイヤルファミリー)の定義を見直してきた。それでも現在は7000人が王族とされているという。<小山茂樹『サウジアラビア』1994 中公新書 p.211>
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岡倉徹志
『サウジアラビア現代史』
2000 文春新書