ブルム/フランス人民戦線内閣
第二次世界大戦前のフランスの政治家。1936年に成立した人民戦線内閣の首相。不況対策の失敗、スペイン内戦への対応の閣内不一致などで翌年総辞職した。

Léon Blum 1872-1950
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第一次世界大戦では祖国フランスを救うための挙国一致内閣に参加したが、反戦を貫くグループがフランス共産党を結成して社会党は分裂、ブルムは社会党の指導者として共産党とも対抗する立場となった。
フランス人民戦線の結成
1930年代にドイツやイタリアのファシズムが急速に台頭し、フランスでもその動きが強まると、ブルムは危機感を強め、自由と議会政治を守るためには幅広い統一戦線の結成が必要であると考え、共産党との関係修復に向かった。ブルムが構想した人民戦線は、結成の動きを強め、共産党のトレーズらと協議を重ねて人民戦線綱領の作成に成功し、1935年7月14日にフランス人民戦線の成立を実現した。その結果、1936年4~5月の総選挙で勝利して、1936年6月4日に人民戦線派の内閣の首相に就任した。フランス人民戦線が権力を握って成立したブルム内閣は、週5日労働制などの労働立法を進めるなど、革新的政策をとった。しかし、世界的な不況の進行に対する有効な経済政策を打ち出すことができなかった。また同年に始まった隣国でのスペイン内戦では、同じ人民戦線のスペイン共和国政府を支援する決意を固めたが、閣内からも反対され、イギリスの同調が得られなかったため結局不干渉政策を取ることとなった。こうして経済問題での行き詰まりと、スペイン問題での閣内不一致に追い込まれたブルムは、翌年辞職した。
第二次世界大戦が始まると、対独協力を掲げたヴィシー政府によって1840年に逮捕され、ドイツに抑留された。大戦終結によってアメリカ軍に救出され、フランスの戦後復興の役割を担って1947年に暫定内閣の首相を務めた。
レオン=ブルムの人物
(引用)レオン=ブルムは、1872年生まれで(人民戦線内閣発足の時は)64歳に近い。秀れた分析力、鋭敏な感覚の見られるスタンダール論を発表し、独自の結婚観も展開する繊細な知識人の一面をもっている。1900年生まれの(共産党指導者)トレーズとは親子ほどに年が違うし、トレーズが外見からして行動人の印象をあたえるのに、ブルムは本質において思索的人間という感をあたえる。そしてこの両党の指導者の年齢差、行動力の差、ダイナミズムの相違が、そのまま社・共両党に反映するといってよい状態が36年当時の社会党に発生しつつあった。<海原峻『フランス人民戦線』1967 中公新書 p.104>