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ソ連=フィンランド戦争

第二次世界大戦開始直後の1939年11月、ソ連軍がフィンランドに侵入し制圧した。国際連盟はソ連を除名した。

 第二次世界大戦開始後の1939年11月30日ソ連軍がフィンランドに侵入した。国際連盟は12月10日、ソ連を連盟加盟の独立国に対する侵略行為として除名を決議した。フィンランドでは果敢な抵抗が続くが、翌年3月までに制圧された。続いて独ソ戦の開始に伴い、ドイツ側に立ったフィンランドがソ連に侵攻したが敗れた。この一連の戦争をソ連=フィンランド戦争と言うが、第一次と第二次の二期に分けている。

第一次 「冬戦争」

 第二次世界大戦が勃発すると、ソ連はヒトラーとの密約に基づきポーランドに侵攻、その東半分を占領した。さらにフィンランドに対し、国境地帯の領土割譲と基地提供を要求してきた。フィンランド政府が拒否すると、不可侵条約を破棄し、1939年11月30日、侵攻を開始し、ソ連=フィンランド戦争が開始された。フィンランド軍はマンネルヘイム将軍のもと、凄絶な戦闘を続けてソ連軍を阻止、またイギリス・フランスのソ連批判も強まり、国際連盟もソ連を除名する措置をとったので、1940年3月、平和条約が締結され講和した。しかしフィンランドはヴィープリ県やカレリア地方などを割譲、また2万5千人の戦死者を出した。これを第一次ソ連=フィンランド戦争、別名「冬戦争」とも言われる。

第二次 「継続戦争」

 しかし、依然としてソ連の圧力を受けていたフィンランドは、ドイツへの協力に傾き、1941年6月、独ソ戦が開始されると同時にソ連との戦争再開に踏み切った。結果的にこれはフィンランドが枢軸国側につくこととなり、連合国側から敵視されることになる。カレリア戦線ではソ連軍が大規模な砲撃と爆撃機による大攻勢を展開、フィンランド軍は何とか踏みとどまったが、44年9月、ドイツ側から離脱することを条件に和平が成立し、ふたたび領土の割譲と賠償金をソ連に対して認めた。この第2次ソ連=フィンランド戦争は「継続戦争」とも言われ、6万5千の戦死者を出した。
 → 現代のフィンランド 
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