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朝鮮・台湾での徴兵制

日本は植民地支配していた朝鮮、台湾で、第二次世界大戦の末期、1944年に徴兵制を実施した。

 日本の朝鮮植民地支配では、日中戦争が進行中の1938年から志願兵制が導入されていたが、選挙区の圧壊に伴い、戦力を補充するため、1944年からは徴兵制が実施された。日本支配下の台湾においては1942年に陸軍が、43年には海軍が特別志願制を実施し、台湾が戦場となる可能性が強まった45年初頭以降は、徴兵制が実施された。徴兵制で動員された朝鮮人は21万人、台湾人は3万5千人に達した。<小林英夫『日本のアジア侵略』世界史リブレット p.73 山川出版社>

朝鮮における徴兵制

 1941年12月、太平洋戦争に突入した日本は、戦力の強化・補充のために朝鮮に対しても総動員体制を構築することを急いだ。42年5月、日本政府は開戦直後から検討していた朝鮮での徴兵検査施行の方針を閣議決定し、翌43年3月の改正兵役法をへて、44年に朝鮮最初の徴兵検査を実施した。20万6057人が徴兵検査を受けた。
 徴兵制実施に先立って、1943年7月には海軍特別志願兵令が公布され、これによって海軍兵志願者訓練所が設立されて、朝鮮青年の海軍兵への動員も開始された。また同年10月には朝鮮人学生に対しても「学徒出陣」の名のもと学徒志願兵の制度が実施された(日本内地と同時期)。
「国語は戦力だ」 徴兵制実施に伴い、17歳以上21歳未満の未就学男子青年に対する青年特別錬成所による訓練が行われた。朝鮮では義務教育制が実施されていないため就学率が低く、日本語普及が遅れていたため、錬成の内容では日本語の習練が重視された。同じ狙いから42年5月には「国語は戦力だ」を合い言葉とする国語普及運動が一層強化された。<武田幸男編『朝鮮史』新版世界各国史2 山川出版社 p.312-313>

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