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信託統治/信託統治理事会

信託統治とは、未独立地が独立するまで、ある国が国際連合信託統治理事会の監督の下で統治を行うこと。国際連合の主要機関の一つである信託統治理事会は、未独立地域の信託統治にあたった国を監督指導する機関。信託統治領がすべて独立したので、1994年に活動を終了した。

 信託統治理事会は国際連合の主要機関の一つであった。信託統治 trusteeship とは、国際連合が未独立地域に対して、その統治を特定の国に行わせることで、信託を受けた国は国連の監督の下に統治を行う。その管理を行うのが信託統治理事会で、理事国は安全保障理事会の常任理事国が兼任した。

委任統治と信託統治の違いに注目

 この制度は第一次世界大戦後の国際連盟のもとでの委任統治制度(ある地域の統治を特定の国に委ねること)を継承したものであるが、委任統治制度が実質的な植民地支配と異ならなかったことを反省し、統治国にすべての権限を与えるのではなく、国連が監督・指導を行うものとした。
 第二次大戦終了時点では旧植民地や委任統治領であってすぐには政治的・経済的に自立できない地域がアフリカと太平洋に11カ所存在しており、それをイギリス・フランスなど7ヵ国が信託統治した。信託統治はそれらの地域の自立・自治を支援・育成し、将来的に独立させることを目指す、過渡的な形態とみなされた。国際連盟の委任統治委員会は査察権を持たなかったのに対し、国際連合の信託統治理事会は信託統治国を監督・指導する機関として使節団を派遣する権限が与えられた。
 1950年代、インドネシアがオランダ領として残っていた西イリアンの領有を主張して西イリアン問題が起こったときには、1961年にオランダが西イリアンを国連の信託統治領とすることで決着を図ろうとしたが、インドネシアが拒否し、武力衝突に発展したことがあった。この時は国際世論もインドネシアを支持したため、1962年の西イリアン協定で、まず国連に施政権を移し、63年5月にインドネシアに移管した後、69年までに住民投票で確認することで妥結、結局インドネシア領となった。
信託統治理事会の活動終了 これらの信託統治領は、順次独立・自治権獲得を遂げ、1994年に最後の信託統治領であったパラオがアメリカの信託統治から独立し、パラオ共和国となったことにより、信託統治領は消滅し、信託統治理事会も正式にその活動を終了した。
 そのため、現行の世界史教科書および山川世界史用語集には記載が消えている。しかし国際連合の信託統治理事会のもとで信託統治が行われたこと、それが国際連盟の時代の委任統治のあり方と異なっていたことは押さえておくべきであろう。
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