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日本の再軍備

第二次世界大戦後、日本は憲法で軍隊を廃止し、戦争を放棄した。ところが1950年、朝鮮戦争の勃発にともない、GHQ(実態はアメリカ)の指令によって再軍備に転換、警察予備隊を設置した。後に保安隊を経て1954年に自衛隊となる。それらは憲法の枠内で専守防衛のみを任務とするが、日米安保条約のもとで事実上のアメリカ軍との緊密な関係をもつようになり、さらに海外派遣、集団的自衛権の容認まで変質している。

 日本軍はポツダム宣言の受諾によって解体され、日本国憲法の第9条によって軍備を放棄し、平和と民主主義の国家として出発した。しかし、冷戦が深刻化する中で、アメリカの日本占領政策が平和国家の育成から反共勢力の一員に組み込もうという変化が次第に強まっていった。特に1949年、中華人民共和国が成立し、さらに翌年朝鮮戦争が勃発すると、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー司令官は日本の自衛権を肯定し、独自の軍備を所持することを認めて、1950年警察予備隊の設置を吉田茂首相に指示した。同時に革新的な労働運動や共産党活動は弾圧されるようになった。またアメリカは日本を反共産主義陣営の一員とするため、ソ連の反対を押し切って早期に独立・主権回復をはかり、51年のサンフランシスコ講和会議開催と平和条約締結となった。同時にアメリカとの軍事同盟である日米安全保障条約を締結、日本はアジア太平洋地域におけるアメリカの同盟国として組み込まれることとなった。警察予備隊は、1954年、名称を保安隊から自衛隊に変更、事実上の軍隊として人員と装備を拡充し、現在に至っている。 → 西ドイツ再軍備  対共産圏包囲網の形成

朝鮮戦争と日本の逆コース

 サンフランシスコ講和会議をめぐり、1947年頃から日本の国論は二分された。吉田茂保守党内閣はアメリカの提案に添って、西側陣営のみと講和し、中国・ソ連との交渉はあとまわしにするという、いわゆる片面講和を進め、社会党・共産党などは全面講和を主張した。全面講和論は非武装中立の推進、アメリカ軍事基地化反対と結びついて国民の多くの支持もあったが、1950年6月朝鮮戦争が勃発するとそれらの声は弱まり、51年のサンフランシスコ平和条約によって片面講和が実現し、サンフランシスコ体制とも言われる「逆コース」を歩むこととなった。一方で朝鮮戦争は、戦後の日本経済の復興のうえで大きな契機となった。朝鮮戦争は戦後日本の政治と経済の行方を決した大きなインパクトであったといえる。

「押しつけられた」再軍備

 戦後70年近くたとうとしている現在、にわかに憲法改正の議論が持ち出されている。改正を主張する議論の一つに、日本国憲法はアメリカに押しつけられたものであり、憲法9条の戦争の否定は独立国家としてふさわしくない、という主張がある。しかし、歴史的な事実から言えば、日本国憲法は日本の議会での承認という当時の正当な手続きを経て制定されたものであるのに対し、日本の再軍備こそがアメリカ(GHQ)の指示によって「押しつけられた」ということを忘れてはならない。
 日本の再軍備は、少なくともその出発点において、国民的な合意でなされたのではなく、中華人民共和国の成立と朝鮮戦争というアジア情勢の変化に対応したアメリカの占領政策が転換したため、その都合によって「ポツダム政令」という形の超法規的力により、議会での立法などの措置もなく行われたことであった。そして再軍備開始と同じ50年2月にはアメリカは沖縄を恒久的な軍事基地として使用することを決定している。

憲法との矛盾

 再軍備は憲法9条と矛盾することである。日本を再軍備させることを考えたマッカーサーは、1950年1月の「日本国憲法は自衛権を否定するものではない」と声明した。それを受けた当時の吉田茂内閣以来の歴代の政府の解釈は、憲法は国家の自衛権まで否定するものではなく、それは国連憲章などでも保障されているというものである。ただしそれはあくまで専守防衛のためのものであり、個別的自衛権にとどまるという制限付きであるとされ、集団的自衛権は、憲法解釈上、認められていないというのが一貫した政府の立場でもあった。

憲法解釈による集団的自衛権の容認

 それを大きく転換させたのが自民党政権第二次安倍晋三内閣であった。 安倍内閣は2014年7月、まず閣議で憲法解釈を変更して集団的安全保障を容認、「平和安全法案」と総称される自衛隊法の改正案を国会に提出した。これは、専守防衛のための実力装置である自衛隊が、日本と同盟関係にある国(つまりアメリカ)が攻撃された場合に防衛に参加することであり、これによって自衛隊が海外で戦争を行うことが可能になることを意味している。それが憲法の改正ではなく、解釈変更によって行われることになったことに対して多くの国民は疑問と不安の声を上げたが、2015年9月に国会で強行採決の結果、成立した。 → 日本の集団的自衛権容認

自衛のための軍隊とは

 政府自民党の主張は、自衛隊は発足以来、災害救援活動で頑張っているのに、違憲状態のままに置かれている、これは自衛隊員の士気にもかかわるから、憲法を改正することでその存在を公認すべきである、というものである。日本の再軍備以来、35年、たしかに自衛隊の存在は国民の多くが認め、憲法解釈上で容認されてきた。しかし、その自衛隊の存在意義は専守防衛であったので、2015年に更なる憲法解釈を加えて集団的自衛権を容認することは、戦後日本の大きな方向転換であった。
 集団的自衛権を持つ自衛隊は、はたして戦争の抑止に繋がるのであろうか。世界史を学ぶ中で明らかになることは、あらゆる戦争が「自衛」のために行われてきたことである。理不尽な先制攻撃であっても、それを自衛のためにやむを得なかったと強弁したり、謀略によって自衛という開戦口実をでっち上げてきた例が多いことは、特に近代・現代の日本を含めた戦争の歴史を見ていけば明らかである。「自衛」のためと称する軍隊が肥大したり、文民統制が効かなくなって政治に容喙するようになった悪例は私たち日本が経験してきたことである。いたずらに「愛国心」を煽るのではなく、冷静に歴史を振り返る必要を痛感する。
 戦争の形態自体が大きく変化している。核戦争やミサイルが飛び交う戦争という事態で、はたして核をもつことや集団的自衛権をもつことが「積極的平和主義」といえるのか、世界史の中で考える必要がありそうだ。
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