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ロードマップ

2003年、アメリカ・EU.ロシア・国連の四者で合意されたパレスティナ問題の包括的解決に向けての行程表。2005年までのパレスティナの完全独立と和平実現を目指したが、実現できなかった。

 2001年の9.11同時多発テロがおきるとアメリカのブッシュ(子)大統領は、テロとの戦いを国家目標として掲げ、国際社会にも強く訴えた。その中で、テロの温床としての中東問題の解決にも、方サックを立てる必要が生じた。標的なイラクのフセイン政権打倒へと向かう中、ブッシュ大統領は、中東和平に向けての包括的合意をはかるため、EU、国連、ロシアに働きかけ、イスラエルにも合意への参加を提唱した。その前提は、過激派の背後にあると認めるPLOのアラファト議長を排除することであった。
 2003年4月30日、アメリカ合衆国・ヨーロッパ連合(EU)・ロシア連邦・国際連合の四者連名で合意した、パレスチナ問題の包括的解決を段階的に目ざす「中東和平構想行程表」。次のような三段階での解決を構想していた。
 第一段階 2003年4月~5月 テロと暴力の停止、パレスティナの市民生活の正常化、パレスティナの諸制度の構築。
 第二段階 2003年6月~12月 新憲法に基づき、暫定的領土と主権国家としてのパレスティナ独立国家創設。
 第三段階 2004年~2005年 パレスティナの完全独立とイスラエル・パレスティナ紛争の終結。
 パレスティナとイスラエルはこれを包括的に承認したが、イスラエル側は15項目に渡る留保点を付けた。重要な点は、・テロ組織の解体、・パレスティナ難民の帰還権放棄、などであり、結局、目標の2005年までには解決は実現せず、なおも厳しい対立が続いている。<高橋正男『物語イスラエルの歴史』2008 中公新書 p.356>
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