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北京原人

中国の北京郊外、周口店で発掘された、代表的な原人の化石。現在の中国人の先祖であるかどうかは否定的に見られている。

現在は“シナントロプス=ペキネンシス”とは言わない

北京原人像
周口店遺跡博物館前の
北京原人像。
 中国の北京の南西にある周口店で発見された、原人(ホモ=エレクトゥス)に属する化石人類。1927年から本格的な発掘が行われ、約50万年前から30万年間ごろの原人化石とされた。なお、最近までシナントロプス=ペキネンシスという属名が使われたが、現在はジャワ原人などと同じ原人の一つの地域集団とされるようになったため、その言い方は行われなくなっている。

現在の中国人との関係

 北京原人は、その後中国大陸で旧人を経て現生人類につながるという見方もある。現代のアジア人にある上顎の中切歯の裏側がくぼむ特徴(シャベル型切歯という)が北京原人にも認められるという。最近の研究ではホモ=サピエンスは旧人とは断絶しているとされるが、北京原人とホモ=サピエンスの関係はまだよくわかっていない。従って、北京原人が現在の中国人(漢民族)の先祖であるとは単純には言えない。

発見の経緯

 スウェーデンの地質学者アンダーソン(「黄土地帯」の命名者としても有名)は鉱業政策顧問として中国に招かれてから、北京で古いほ乳類化石が「竜骨」として売られていることに興味を持ち、その出土地をさがした。中国に来ていた宣教師たちの協力で北京西南50kmにある周口店からたくさんの化石が出ることを知り、1923年から発掘を始めた。石灰岩の丘にある洞窟や崖の割れ目から、数多くの動物化石に混じって人間の祖先のものらしい臼歯が発見された。発掘を助けた解剖学者のカナダ人ブラックは新発見の人類化石として「シナントロプス=ペキネンシス」と名付け発表したが、当時は学会の承認を得られなかった。1927年から中国人学者も加わって本格的な発掘が行われ、ほぼ完全な頭蓋骨が発掘され、火の使用の痕跡も見つかった。現在は周口店の発掘現場は、世界遺産に登録され、保存されている。

Episode 消えた北京原人

 当時の中国は蒋介石の北伐の最中で内戦状態だったため発掘は困難を極め、1937年には日中戦争勃発のため発掘は中断された。最初に発見されたものを含む5個の頭蓋骨をはじめ約40体分の化石は、1941年12月8日の日米開戦に伴う混乱で、行方不明になってしまった。戦後、発掘が再開されたがあらたに見つかった化石人骨は不完全なものが1個に過ぎないので、この消えた北京原人の化石の行方に大きな関心が集まった。
 北京原人の頭蓋骨化石は公式的には1929年12月2日に発見されたとされているので、1999年10月、北京で発見70周年を記念して国際シンポジウムが開催され「消えた化石のミステリー」が話題となった。証言では、太平洋戦争勃発の直前、地質調査所の所長が化石を日本軍に奪われることを恐れ、重慶政府の許可を取ってアメリカに運ぶことにし、当時化石が保管されていた協和病院の金庫から取り出し、梱包して大小二つの箱に入れ、アメリカ人軍医が付き添い、列車で河北省沿岸の秦皇島に運んだ。12月8日、そこからマニラに向かうアメリカの軍艦に乗せる予定だったが真珠湾攻撃が起こったため計画が狂い、軍艦は来ず、軍医も日本軍の捕虜となり、そして北京原人も消えた……。
 戦後、このアメリカ人軍医も死亡し、化石の行方は全く分からなくなった。有力な候補は、日本軍によって日本に運ばれたという説で、日本国内でも化石を見たという証言があると言うが、実物は出てきていない。1999年11月に中国の有力紙「光明日報」が新説を発表した。それによると太平洋戦争末期1945年4月1日にアメリカ軍潜水艦によって撃沈され2000名という犠牲者を出した日本の貨物船「阿波丸」に積み込まれており、船と共に台湾海峡に沈んだ、というものだった。この情報は実は72年のニクソン訪中の時のお土産として中国に知らされており、それをもとに中国政府は77年に福建沖を調査、水深70mの海底で阿波丸を発見、積荷の一部を引き上げたが化石はなかった。光明日報は77年だけで中断している阿波丸の引揚げを再開すべきだと主張している。しかし、阿波丸はシンガポールから日本に帰国する途中の貨物船で、米海軍は誤爆による沈没といっているものの何故撃沈されたか謎が多く、仮に北京原人の化石が積まれていたとしたらどういう経過だったのか、などなど謎は尽きない。いずれにせよ、本来の北京原人5体の頭蓋骨は依然として行方がわかっていない。もっとも行方不明になる前に精密な模型が数体造られており、研究はその模型を使って行われている。<この項、『毎日新聞』1999/12/2 特集ワイド記事による>

北京原人と火の使用

 北京原人は最近の研究では約55万~25万年前の化石人骨とされたが、火の使用については疑問が出されている。人骨が見つかった洞窟から灰のような堆積物は最近になって、植物に由来する炭素か、細かな砂が堆積した跡である可能性が指摘されたのだ。火を使ったのであれば炉の跡が見つかるはずだがその痕跡は確認できない。焼けた動物の骨があることから完全に否定されたわけではないが解釈は研究者によって分かれている。<三井誠『人類進化の700万年』2005 講談社現代新書 p.100>
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書籍案内

アミール.D.アクゼル/林大訳
『神父と頭蓋骨』
北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展
2010 早川書房

北京原人の発見に、古生物学者として関わったイエズス会士・テイヤール・ド・シャルダン神父(1881‐1955)。神と科学の狭間で苦悩し、バチカンからは危険視されながらも、独自の思想を打ち立てた波瀾の生涯。

中薗英輔
『北京原人追跡』
2002 新潮文庫

北京原人はどこへ消えた?太平洋戦争勃発と同時に発生した奇怪な失踪事件を当時北京唯一の邦字紙記者として取材した作家が半世紀余の深い思いを込めて追跡する。