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火の使用

他の動物と人類とを区別し、文明を生み出した人類独自の能力。道具の発明に続く第二の技術革命とも言われる。

第二の技術革命

 人類を他の動物から区別する上で重要な要素が、火の使用と言語の使用であろう。考古学または人類学上、火の使用が確認されるのは、約50万年前の北京原人である。火の使用によって、人間の食生活は豊かになり、暖をとったり、動物から身を守ったりする上で、大きな進歩であり、石器などの道具の発明に次ぐ「第二の技術革命」と言える。また、人類が火を使用するようになったことは、エネルギー革命の第一歩であった。
 そして人類の文明は火の使用によって成し遂げられていくが、「第二の火」と言われる電力を利用することを知るにいたった。そして、それでも飽き足らず、人類は原子力「開発」に手を染め、それを「第三の火」と持ち上げた。しかしこの第三の火は、第一と第二の火も人類に災いをもたらした側面があるが、それとは桁外れな災いをもたらすことも明らかになり、決定的な違いとして人間がコントロールできないものであることが、2011年3月11日に思い知らされた(広島、長崎でも目覚めていなかったと言うことだ)。

Episode プロメテウスの火

 ギリシア神話には火にまつわる物語がある。ゼウス神は人間に苦しみを与えるために火を隠していた。ところがプロメテウスがその火を盗み出して人間に与えてしまった。怒ったゼウスは、プロメテウスを捕らえ、生きながら肝臓を鷲についばまれるという刑罰を与えた。さらにゼウスは人間を懲らしめようと、パンドラという女をこしらえ、人間界に遣わす。このパンドラがもたらした箱からあらゆる罪悪が生まれる……。人間はプロメテウスが盗み出した火によって暮らしを豊かにすることができたが、同時に戦い、互いに殺し合うようにさえなった。この「プロメテウスの火」の話は、ギリシアの詩人ヘシオドス『労働と日々』にも伝えられている。

最近の研究

 北京原人が火の使用をしていたという定説には疑問が出されている(北京原人の項参照)。人類の火の使用の始まりについては、北京原人よりも古い約150万年前の南アフリカやケニアにその痕跡が見られるが、それが自然の落雷などによるのか人が使った火なのかは判定が困難である。約79万年前のイスラエルの遺跡には焼けた石や木片などが見つかっているが数が少ない。もっとも確実な炉の跡が見つかったのはフランスのテラ・アマタ遺跡で約40~35万年前である。つまり火の使用を始めたのは原人の段階であるが、その時期は150万年前から35万年前としか判らない。いずれにせよこの第2の技術革命で寒冷なヨーロッパやアジア北部にも移住でき、肉を加熱して食べることによって食中毒が少なくなり、また洞窟から動物を追い出して人間が住むようになり、夜も遅くまで活動できるようになった。<三井誠『人類進化の700万年』2005 講談社現代新書 p.100>
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