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ガレノス

2世紀、ローマ帝国時代の代表的医学者。ギリシア人であるが、ローマ皇帝の侍医となった。

 ギリシアのペルガモン生まれで、アレクサンドリアで医学を学び、ローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスの侍医となった。解剖学を創始したと言われ、ギリシア時代のヒポクラテスとともに、彼のギリシア語の医学書は後にアラビア語に翻訳され、イブン=シーナーなどのアラビア医学に取り入れられる。そして中世ヨーロッパでは忘れ去られていたが、ルネサンス期にアラビア医学がヨーロッパに伝えられて、ヨーロッパでも知られるようになった。

Episode 剣闘士付外科医、心臓移植を予測

(引用)最高のギリシア人医師はガレノス(131~200年頃)であった。彼は傲慢でどんな質問にもすぐ答えられる物知りであり、彼以後ずっと続いた医師たちの横柄な態度の先例をつくったのである。ガレノスは、動脈には空気ではなく血液が入っていることを観察した。彼は剣闘士(グラディエイター)付き外科医だったので外傷に関しては専門家であったし、(生け贄の祭)身体から切り離された心臓が脈動しているのに注目し、心臓移植を予測したのである。彼の独断的意見の絶対的権力は医学を15世紀にわたって支配した。1559年には、ヘンリー8世が創設した王立医師会は、ガレノスの絶対的確実性を疑うという無礼を犯したオックスフォードの医師を叱責していたほどである。ガレノスはギリシア人であったが、ローマ人のあいだで医療を行っていた。ローマ人は医学にたずさわるのは沽券にかかわると考えていたのでギリシア人医師を使っていた。<リチャード・ゴードン/倉俣トーマス旭他訳『歴史は病気でつくられる』1993 時空出版 p.5-6>