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サカ族

中央アジアのイラン系遊牧民。前1世紀ごろバクトリアを征服し、さらにインド北西部に侵入。その後クシャーナ朝に組み込まれ4世紀にグプタ朝に滅ぼされた。この地域にギリシア系文化に代わるイラン文化をもたらした。

 サカはシャカとも表記する。パミール高原西側の西トルキスタンからカスピ海東岸一帯の草原地帯で活動した遊牧民族でイラン系民族とされている。彼らはインドではサカ(シャカ)と言われたが、その存在はギリシアにも知られ、ヘロドトススキタイの一部といっているので、スキタイ系とされることもある。また中国にも知られており、漢文資料では塞とか釈と記されている。インドのシャカ族というとブッダの出身氏族を思い出すが、それとは関係がない。

サカ族のバクトリア進出

 「紀元前2世紀の前半、月氏族が匈奴に追われて東アジアから西トルキスタンに移動すると、インドの北方の内陸、アム川・シル川の流域地帯にいた諸民族の居住地に急激な変動が起こった。その地方にいたイラン系の遊牧種族であったサカ(シャカ)族が南下して、前2世紀の後半にバクトリア本国を滅ぼしたが、さらに南下を続け、南アフガニスタンに定住した後、前1世紀になるとインダス川流域から西インドに向けて発展を始めた。・・・(イラン高原東北部の)パルティアもまたサカ族とほぼ同時に、東方に勢力を増大したから、サカおよびパルティアの両勢力は、やがて、本国を失って西北インドに君臨していたバクトリアのギリシア系諸王の勢力に代わっていった(後1世紀ごろ)」<世界各国史(旧版)『インド史』1960 山川出版社 p.43>

サカ族の北西インド進出

 サカ族はパルティアの勢力を避けてインダス川流域に入り、北上してパンジャーブ地方・ガンダーラを占領し、北西インドのギリシア人勢力を一掃してにサカ朝を建てた。パルティアもインド西部に進出した。このサカとパルティアのインド進出が「イラン系遊牧民のインド進出」にあたる。しかしサカ朝の支配は分散的であって安定せず、紀元前後にクシャン人に征服され、クシャーナ朝に組み込まれた。その後もパンジャーブの一地方勢力(太守)として存続したが、紀元後4世紀にグプタ朝チャンドラグプタ2世によって滅ぼされた。
 → 出題 2009 中央大 法・国際
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