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カニシカ王

2世紀なかごろに北西インドを支配したクシャーナ朝の王。大乗仏教を保護した。西方のローマとも交易を行った。

 クシャーナ朝3代目の王。カニシュカとも表記する。2世紀から3世紀にかけて、ガンダーラのプルシャプラを都に北西インドを支配した。その在位期間は、130年ごろ~170年ごろとされるが、120年ごろ~162年ごろという年代もあげられている。その支配はガンジス川に及んだので、マトゥラーを副都とした。

仏教の保護

 マウリヤ朝のアショーカ王と並んで仏教に深く帰依し、保護政策をとったことで有名であるが、カニシカ王が保護した仏教はアショカ王時代と異なり、大乗仏教といわれる新しい仏教であった。王はインド各地に多くの仏塔や寺院を建て、第四回の仏典結集を行った。
 またカニシカ王の時代には、ヘレニズムの影響が北西インドに及び、ガンダーラ様式にみられる仏像彫刻が盛んに造られた。

東西交易と貨幣鋳造

カニシカ王貨幣
カニシカ王の貨幣
 カニシカ王を始めクシャーナ朝の諸王はさかんに積極的にローマとの交易を行い、金貨を鋳造した。クシャーナ朝で鋳造された金貨は、ローマからもたらされた金貨を鋳つぶして鋳造したものであった。これは、クシャーナ朝の支配した中央アジから北西インドが、当時のユーラシア大陸の西のローマ帝国と、東の後漢帝国の中間に位置し、東西交渉の中継地となっていたことを示している。
 クシャーナ朝では銀貨に替わってさかんに金貨を発行した。これはこの時代の活発な経済活動を示すと共に、インド貨幣史に転換期をもたらすものであった。東西交易の大動脈を抑えていたクシャーナ朝には、金貨と金塊が大量に流入し、それをもとに金貨を鋳造した。クシャーナ金貨の重量基準はローマ金貨の基準に従っており、ローマ銀貨の呼称であるデナリウスの訛ったディーナーラと呼ばれていた。
 右の図はカニシカ王が発行したクシャーナ朝の貨幣。表(上)はカニシカ王の立像。遊牧民風の外套と長靴を身にまとっている。裏(下)は有翼の風神。<世界各国史(新版)『南アジア史』2004 山川出版社 p.89 より>
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