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ブリュージュ/ブルッヘ

フランドル地方の毛織物業が盛んな都市。現在はベルギーの一都市でブルッヘといわれる。

 現在のベルギーの北部の港湾都市。ブリュージュ Bruges はフランス語表記と発音であるが、この地はフランデレン地方(フランス語でフランドル)の都市なので現在ではフラマン語でブルッヘ Brugge と表記、発音するようになっている。 → ベルギーの言語戦争
 水路が入り組み橋が多く、地名は「橋」を意味する。フランドル地方の中心地で毛織物業が盛ん。ハンザ同盟の商館も置かれた。アントワープ(現在のアントウェルペン)やガン(現在のヘント)と並んで、毛織物業とともに商業も発達し、またここで蓄えられた資本は、後の1830年代のベルギーの産業革命を成立させた。
 またブリュージュはイタリアとの関係が深かったので、ルネサンス期から多くの優れた画家が活動し、フランドル派の中心となった。14世紀末から15世紀にかけてのファン=アイク兄弟(ファン=エイクとも表記)などがブリュージュで活躍した。

ハンザの外地商館

 ブリュージュにはハンザ同盟の四大外地商館の一つが置かれた(他はロンドン、ベルゲン、ノヴゴロド)。ブリュージュ商館というが、ロンドン商館のように独自の居住区や建物があるわけでは無く、ハンザ商人は市内各所で家や部屋を借りて取引も市有や個人所有の取引所で行った。ブリュージュは中世においてはヨーロッパ随一の先進地であったので、生活水準は高く、ハンザ商館(のハンザ商人)はハンザ世界への文化伝播の窓口にもなった。フランドルの中心地であったブリュージュで、フランスやスペインなど諸王国と接触し、取引を行った。
 ブリュージュ商館では、ハンザを三つの地域に分け、それぞれから2名ずつ、計6名の長老が選出されて商館長の役割を果たした。ブリュージュ市当局とは対立することもあったが、そのときは特定の居住区を持たないことを強みにして、別都市に商館を移すことで対抗した。<高橋理『ハンザ「同盟」の歴史』2013 創元社 p.145-247>
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