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陶磁の道

中国原産の陶磁器が「海の道」を通り、インド洋を経て、イスラーム圏に運ばれた。

 エジプトのカイロの南の郊外にあるイスラーム都市遺跡であるフスタート遺跡から、莫大な量の中国製陶磁器の破片が発掘された。この陶片は7~8世紀から、16~7世紀にわたる、唐、宋、元、明、清などの中国の各時代にわたる、竜泉窯の青磁や、景徳鎮の青磁、白磁である。エジプトだけではなく、アフリカ東岸のモガディシュキルワ、ペルシア湾のバーレーンホルムズ島、パキスタンのバンボール、南インドやスリランカ、インドネシア、フィリピンなどから中国陶器が出土している。これらは8~9世紀にシルクロードに代わって活発になった、東西を結ぶ海の道の海上交通によってもたらされたものであった。またオスマン帝国の都イスタンブルにあるトプカプ宮殿には、膨大な東洋の陶磁器が収蔵されている。「陶磁の道」を提唱した三上次男氏は「中世の東西世界に渡された一本の太い陶磁のきずな。それは同時に東西文化を交流させるかけ橋でもあったが、この海の道をわたくしはしばらく「陶磁の道」と呼ぼうと思う」と述べている。<三上次男『陶磁の道』1969 岩波新書 p.230> → インド洋交易圏
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書籍案内

三上次男
『陶磁の道』
1989 岩波新書