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砂糖

16世紀以降、世界的な貿易商品となった農業加工品。原料はサトウキビ、砂糖大根。特にブラジルやカリブ海域では大規模な黒人奴隷労働によるプランテーションで生産された。

 砂糖は現在の私たちにとっては、欠くことのできない、またありふれた甘味料となっているが、それがヨーロッパで普及したのは16世紀以降のことである。砂糖が普及する前の甘味料としては蜂蜜などが用いられているにすぎなかった。砂糖はサトウキビ(甘蔗)という植物が原料で、原産地はかつてはインドとされていたが、現在ではインドネシアのどこかと考えられている。サトウキビの栽培と製糖の技術は、まずイスラーム世界で始まり、11~13世紀にはエジプト産の砂糖がカイロのカーリミー商人の手によって輸出され、「砂糖はコーランとともに」西方に伝わった。英語の砂糖 sugar はアラビア語の砂糖を意味する sukkar 、砂糖菓子の candy はアラビア語の粗糖を意味する qand が語源であるという。初めは調味料として大量に使われたのではなく、貴重な薬品(媚薬)として用いられていた。

ヨーロッパへの伝播

 イスラーム圏で用いられていた砂糖がヨーロッパに知られるようになったのは、十字軍運動を通じてであった。十字軍国家のひとつイェルサレム王国でヨーロッパ人が初めて砂糖の製造をイスラーム教徒から学び、十字軍国家の崩壊に伴って、地中海のキプロス島やクレタ島、シチリア島などにもたらされた。一方、イベリア半島南部でも早くから砂糖が生産されており、14世紀にはバレンシアやポルトガルに製糖工場が作られジェノヴァ商人らによってヨーロッパにもたらされていた。
 16世紀になると砂糖生産の中心地は地中海から大西洋の島嶼、マディラ島やカナリア諸島に移り、そこではポルトガル商人によってアフリカから商品としてもたらされた黒人奴隷が働かされていた。それらの奴隷はポルトガル商人によって西アフリカのエルミナなどからもたらされたものであった。
 大航海時代になって、15世紀末にコロンブスは第2回航海でカナリア諸島のサトウキビ苗木を西インド諸島のエスパニョーラ島に持ち込み、スペイン人によるサトウキビの栽培が始まった。まもなく16世紀にはポルトガル人がブラジルで砂糖プランテーションをインディオを労働力として開始した。ブラジル、西インド諸島などでアフリカからの黒人奴隷を労働力とする大プランテーションが作られ、生産が急増したが、最初にヨーロッパ向け砂糖の多くを生産したのはブラジルの方だった。

砂糖プランテーション

ブラジル ポルトガルは1500年にブラジルを獲得すると、サトウキビをマディラ島など大西洋東岸の島々から移植し、砂糖プランテーションの経営を始めた。当初は、インディオを強制労働させるインディオ奴隷制を行っていたが、徐々にアフリカからもたらされる黒人奴隷労働を使った大プランテーション経営を内陸部にも拡げ、それが大きな成功を収め、16世紀末にはポルトガル人が主導権を握るブラジルが世界最大の砂糖生産量を誇るようになった。しかし、17世紀には本国ポルトガルの衰退によってブラジル製糖業がふるわなくなると、代わって西インド諸島が世界最大の砂糖生産地域になっていく。ブラジルは砂糖が衰退した代わりに金鉱が発見されたため、息を吹き返し、次にコーヒーを主力にするようになる。
西インド諸島 エスパニョーラ島からその後、西インド諸島に広がっていった。後に最大の産地となるキューバはスペイン領にとどまったが、バルバドス島ジャマイカ島はイギリス、エスパニョーラ島はサンドマング(1804年、独立してハイチとなりマルチニク島とともにフランス領となるなど、その他、オランダやデンマークなども進出して西インド諸島を分割し、それぞれ、砂糖の栽培などに力を入れるようになり、これらの砂糖プランテーションではアフリカからの黒人奴隷が労働力として広く用いられるようになった。
製糖の技術革新 サトウキビ栽培と製糖工業は別な生産工程であり前者は大農園での労働力が必要とされ、後者では技術が必要とされた。サトウキビから汁を取り出すには始めは木製の道具でキビを叩き潰すという原始的な方法が採られていたが、1516年エスパニョーラ島で牛や馬、あるいは奴隷が横木を押して車軸を廻し汁を搾るという製糖機が使われるようになった。これを「トラピチェ」型工場という。しかしまもなく大きな技術変革が起こり、水力が導入されて「インヘニオ」型工場が現れ、安く大量に搾ることができるようになり、生産量が増えるとサトウキビ畑が拡張し、黒人奴隷を大量に導入する必要を農園主が考えるようになった。こうして16世紀に黒人奴隷を労働力とする大規模な砂糖プランテーションが広がっていった。<エリック=ウィリアムズ/川北稔訳『コロンブスからカストロまで』1970 岩波現代文庫 2014 p.20-23>

砂糖需要の増大

 こうして、砂糖はヨーロッパ・アフリカとを結ぶ、三角貿易の主要な商品(staple)となった。砂糖の消費が爆発的に増加したのは、17世紀のイギリスで、コーヒーハウスが流行し、始めコーヒー、ついでに砂糖を入れて飲む習慣が始まったことによる。
 18世紀のイギリスでは、アジア産の茶に西インド産の砂糖を入れ、アジア産の陶器に入れて飲むという、まさに「世界商品」を消費する国となった。同時に「砂糖のあるところに奴隷あり」と言われるように、黒人奴隷によるプランテーションで生産されていたのである。19世紀の中頃はスペイン植民地のキューバが最大の産地となった。<以上、川北稔『砂糖の世界史』1996 岩波ジュニア新書などによる>
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書籍案内

川北稔
『砂糖の世界史』
1996 岩波ジュニア新書

エリック=ウィリアムズ
/川北稔訳
『コロンブスからカストロまで』カリブ海域史1942-1969 初刊 1970
岩波現代文庫 2014