ファン=ダイク
17世紀、フランドル出身でフーベンスの弟子となり、イギリスに渡り宮廷画家として多くの肖像画を残したバロック美術期の画家。。
ファン=ダイク Van Dyck (1599~1641 ヴァン=ダイク、ヴァン=デイクなどとも表記する)は、フランドル地方(南ネーデルラント、現在のベルギー)のアントウェルペン(アントワープ)に生まれ、フランドル派の画家ルーベンスの工房に弟子入りし、その助手として腕を磨いた。1620年、イギリスのジェームズ1世にまねかれてその宮廷画家ととなり、その後ステュアート朝の王家の国王や王妃、王子の多くの肖像画を残した。その間、イタリアにも赴き、ヴェネツィア派の絵画の影響を受けた。ファン=アイク兄弟(15世紀に活躍した同じフランドル出身の兄弟画家)と混同しないようにしよう。
ところがチャールズ1世はピューリタン革命が起こったため、1649年に処刑されてしまい、そのためかこの絵はその後王家の所有から離れ、フランスに流出してしまった。
フランスでこの絵を手に入れたのはルイ15世(在位1715~74年)の愛妾デュ=バリー夫人だった。夫人はパリ郊外のルーヴシェンヌ城館の居室に飾り、ルイ15世にこの絵を見せながら、「議会に好き勝手をさせていると、いずれ議会の手で斬首刑にされてしまいますよ。イギリス議会がチャールズ1世を斬首したように」と言い聞かせていたという。
しかし、1774年、ルイ15世が死の床につくとデュ=バリー夫人は失脚してしまった。この絵は次のルイ16世が手に入れたが、ルイ16世もフランス革命のさなか、1793年に断頭台の露と消える。絵は現在、ルーブル美術館に収蔵されている。
<この絵について、プルーストが『失われた時を求めて12』で触れている(岩波文庫本p.314)。上記の話は訳者吉川一義氏の解説文による。>
バロック美術の肖像画家
その作品は、フランドル派・イタリアのルネサンス絵画などを取り入れながら、師であるルーベンスと同じく美術史上はバロック美術に加えられているが、独特な豊かな色彩とともに繊細・優雅な作風であり、後のイギリス画壇にも大きな影響を与えた。代表作は「チャールズ1世の肖像」など。Episode 斬首された二人の王 『チャールズ1世の肖像』にまつわる話
イギリスのスチュワート朝宮廷に仕えて王室の肖像画家となったファン=ダイクの作品で、最も広く知られているのが、チャールズ1世の肖像である。この作品はファン=ダイクがロンドンに滞在していた1635年頃に描かれたもので、縦266cm、横207cmの大作。繊細な自然を背景にチャールズ1世の狩猟姿を描いているので「狩猟場の王」ともいわれる。ところがチャールズ1世はピューリタン革命が起こったため、1649年に処刑されてしまい、そのためかこの絵はその後王家の所有から離れ、フランスに流出してしまった。
フランスでこの絵を手に入れたのはルイ15世(在位1715~74年)の愛妾デュ=バリー夫人だった。夫人はパリ郊外のルーヴシェンヌ城館の居室に飾り、ルイ15世にこの絵を見せながら、「議会に好き勝手をさせていると、いずれ議会の手で斬首刑にされてしまいますよ。イギリス議会がチャールズ1世を斬首したように」と言い聞かせていたという。
しかし、1774年、ルイ15世が死の床につくとデュ=バリー夫人は失脚してしまった。この絵は次のルイ16世が手に入れたが、ルイ16世もフランス革命のさなか、1793年に断頭台の露と消える。絵は現在、ルーブル美術館に収蔵されている。
<この絵について、プルーストが『失われた時を求めて12』で触れている(岩波文庫本p.314)。上記の話は訳者吉川一義氏の解説文による。>