印刷 | 通常画面に戻る |

反連邦派/アンチ=フェデラリスト/州権主義

アメリカ合衆国憲法制定過程で各州の独立性を主張した党派。建国期にはジェファソンに代表され、リパブリカン党を結成。南北戦争期には南部の主張となった。

 反連邦派、アンチ=フェデラリスト Anti-Federalists とは、アメリカ合衆国憲法の制定過程で、アメリカ独立後の国家のありかたについて、各州(states)の独立性を維持し、連邦政府の権限はできるだけ小さくすべきであると主張した人々。1787年からの憲法制定会議おいても、ハミルトンなどの連邦派(フェデラリスト)が、州よりも連邦政府を上位におき、その権限を強くすべきであるという連邦主義と対立し、憲法草案に反対した。独立自営農民に支持者が多く、その中心人物はジェファソンであった。

反連邦派・州権主義のその後

 憲法制定会議では「大いなる妥協」によって両派は歩み寄り、憲法の制定をみたが、その後も反連邦派は連邦政府の権限の強化に反対し、初代ワシントン大統領政権の財務長官ハミルトンの合衆国銀行(国立銀行)設置案に対しても強く反発し、それを機にジェファソンらはリパブリカン党を結成する。1800年の選挙では第3代ジェファソン大統領が誕生し、1800年の革命と言われ、連邦派に代わって政権を担当することとなり、1820年代まで続いた。
 しかしリパブリカン党は、米英戦争や領土の拡張という情勢の進行の中で、その内部に合衆国銀行の再開など連邦主義を容認する派も現れ、しだいにまとまりを欠いていった。反連邦主義を維持していた派は民主共和党を結成、1828年には西部出身のジャクソンの大統領当選を果たし、その政権下でふたたび反連邦主義(州権主義)に添った政策が打ち出され、たとえば合衆国銀行は金融面で不当な強制を各州に強いる制度であるとして否定された。ジャクソン支持者は1832年には民主党と改称し、南部のプランターを中心として州権主義を強く主張するようになり、南部の独自性である黒人奴隷制を維持、拡大しようとして、北部中心の共和党と対立を深め、ついに南北戦争に突入、南北戦争で南部が敗北したことにより、民主党の州権主義も変更を余儀なくされ、戦後の再建を経てその性格を大きく変えていくこととなる。

用語リストへ 10章2節11章3節

 ◀Prev  Next▶ 


印 刷
印刷画面へ