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集団的自衛権

国家主権のうちの自衛権を数カ国の集団で所持する権利。敵対国または国家グループを想定して自国の安全を守るため利害の共通する国家間で軍事同盟を締結するという19世紀の勢力均衡論を引きずったもの。国際連合の集団安全保障の理念とは対立する。

個別的自衛権と勢力均衡論

 一般に自衛権とは、個別的自衛権のことであり、国家のもつ、自己防衛のため武装し、侵略や不当な攻撃に対して防衛的に戦う権利を意味する。19世紀までは自衛権は主権国家の当然の固有の権利と考えられ、また国家間で軍事同盟を敵対陣営に知られないように秘密条約として締結することによって力のバランスをとり、平和を維持しようという勢力均衡論(ビスマルク外交に典型的に現れている)が主流であった。カントなどのように常備軍の廃止によって平和を維持する理念が存在していたが、非現実的と捉えられていた。

集団安全保障の理念

 しかし、勢力均衡論による平和の維持が困難であることが第一次世界大戦によって明らかになった。世界大戦の惨禍を目の当たりにした各国は、勢力均衡論ではなく、武力の放棄や秘密外交の禁止などによって平和を維持しようという理念が生まれた。レーニンの「平和についての布告」とウィルソンの「十四カ条」にはそのような理念が盛り込まれていた。しかし、戦争否定、軍備全廃が非現実的であったことは、その後のソ連、アメリカがいずれもかれらの掲げた理念をみずからが裏切っていったことに現れている。そのような現実との妥協として生まれたのが、国際連盟がはじめて掲げた集団安全保障の理念であった。しかし、提唱者のアメリカは国際連盟に加盟せずソ連は1934年まで参加できず、実効力の弱い存在とならざるを得なかった。それでも、1920年代の国際協調の時代にロカルノ条約不戦条約が成立し、不十分ながら集団安全保障と戦争否定の理念は具体化されていった。

個別的自衛権の主張の復興

 これらの動きによって、国際法上は国家の「戦争の権利」や「戦争の自由」は否定され、違法であるという基本的合意が形成されつつあったが、反面、軍備を制限された敗戦国ドイツには、英仏に対する「対等な自衛権」を要求する声が強くなり、世界恐慌を契機とした不況のなかで権力を握ったナチス=ドイツや、アジアで中国大陸侵略を進めていた日本などファシズム国家は、国家の生存権の延長として戦争を辞さない強硬姿勢を取り始めた。声高に発せられた「国家」や「民族」の当然の自衛権の行使という声のもとで、戦争や軍備の違法性の認識は低まっていったが、それでも「戦争」には一定の歯止めがあったことは、不戦条約締結国であった日本が、日本軍と中国軍との衝突を、「戦争」ではなく「満州事変」や「支那事変」と称せざる得なかったことにも現れている。つまり、「自衛でない戦争は違法であり、侵略である。」言い換えれば、「違法でない戦争はすべて自衛の名で行われる」こととなった。

国際連合憲章での規定

 「戦争」と「軍備」の違法性の認識が破壊された結果、人類は再び、そしてより悲惨な第二次世界大戦を経験することとなった。そして連合国は国際連合を発足させ、国際連合憲章のなかで平和維持の具体的手立てとして、第1章第1条に「集団安全保障」の理念を再構築した。しかし、同じく国連憲章の第51条で個別的自衛権を認め、さらに「集団的自衛権」という新しい権利を認めるという文面となった。この「集団的自衛権」とは、「共通の利害を持つニカ国間、または数カ国間で共同して国家防衛のために軍事行動を行う権利」ということであり、平たく言えば、「自分が攻撃されていなくとも、仲間が攻撃されたら助けるために行動する」ということである。国際連合憲章に規定されている、加盟国の自衛権に関する規定は次のようになっている。
第51条〔自衛権〕「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

自衛権行使の限定性

 このように国連憲章には加盟国には個別的自衛権と集団的自衛権が認められているが、それらは無制限ではなく、安保理の措置がとられるまでの緊急時における対応としてのみ認められているのである。国連憲章では、前文で「共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと」を謳い、第2条(原則)4項で加盟国は「武力よる威嚇又は武力の行使を・・・慎まなければならない」と規定されている。国際連合の基本は集団安全保障による平和の維持が主眼であった。

チャプルテペック決議

 ではなぜ、第51条の「個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」という条項が加えられたのだろうか。それに直接的に影響を与えたのが、1945年3月に中南米諸国が採択したチャプルテペック決議であった。この決議は、ある国家によるいずれかの国家に対する攻撃を、米州(南北アメリカ大陸)全体に対する侵略と見なし、その侵略国に対し軍事的手段を含めた対抗措置を集団的に執ることを定めたものであった。国連憲章の原案では、地域的機関であっても軍事行動をとるときは安保理の許可が必要とされていたが、そうだとするとチャプルテペック決議の軍事行動も、安保理でソ連が拒否権を行使すれば実行出来なくなる。アメリカ合衆国はチャプルテペック決議をモンロー教書の原則に沿ったものとして支持していたので、国連憲章のなかにチャプルテペック決議が生かされることを考え、その結果として浮かび上がったのが集団的自衛権に関する規定を国連憲章に盛り込むことだった。チャプルテペック決議はアメリカの強い支持で出されたものであり、アメリカはモンロー教書以来の米州に対する排他的主導権を維持することを狙っていた。同時に、国内の国際連合に加盟することによってアメリカ固有の自衛権が侵害されるという加盟反対論を抑えるためにも、「個別的または集団的自衛権」を国連憲章に盛り込もうとし、それに成功した。つまり、「集団的自衛権は、アメリカが“合法的”に軍事行動をとるための免罪符としてつくりだされたもの」であった。<浅井基文『集団的自衛権と日本国憲法』2002 集英社新書 p.109>

「集団的自衛権」の乱発

 国連憲章で「武力行使」が禁止され「集団安全保障による平和維持」が謳われたにもかかわらず、冷戦下においてアメリカ、イギリス、ソ連などの大国は自衛権の行使を口実に核武装を推進し、またNATOワルシャワ条約機構にみられるような軍事同盟を集団的自衛権の行使という口実で結成した。そしてアメリカのベトナム戦争や、ソ連のアフガニスタン侵攻など、戦後の米ソの軍事行動は、国際法上、戦争は違法とされたのですべて「自衛権」、しかも単独ではなく「集団的自衛権」の行使として実行されてきた。国際連合の理念と現実の乖離と言わねばならない。

アメリカの主張する集団的自衛権

 国際連合憲章の作成段階で、アメリカ国内には依然として国連によって自国の行動、特に自衛権の発動が制限されることに反対する意見も強かったが、憲章51条で、安保理が有効な措置をとるまでに限り「個別的、集団的自衛権」の発動を容認することにして、加盟国の軍事行動を可能にしたことによってアメリカ議会内部の国連加盟反対論は抑えられ、加盟が実現した。ともかくも国際連盟とは異なり、アメリカの参加が実現させるための妥協であった。しかし、国際連合の理念である「武力行使の禁止」「集団安全保障による平和と安全の維持」という原則は次第に色あせ、アメリカは1949年に北大西洋条約機構(NATO)という集団防衛機構を結成し、さらに朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などの軍事行動を集団的自衛権の行使として「正当化」していった。さらに2003年のアメリカ軍の行ったイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を開発してアメリカを攻撃するかも知れないという予測にもとづき、先制的自衛権の発動として実行された。また、1999年のアメリカ軍を中心としたNATOによるセルビア空爆は、アルバニア系住民の人権を守るための「人道的介入」という名の「集団的自衛権」行使として、安全保障理事会の決議なしに行われた。「集団的自衛権」が暴走しているわけである。
集団的自衛権の行使条件 1981年、中南米のニカラグアで親米的な独裁政権が倒され、左派のサンディニスタ政権が成立するニカラグア革命が起きると、アメリカのレーガン政権は軍事介入を行い、反政府軍に武器支援を行った。このときもアメリカは周辺国(エルサルバドル)支援のための集団的自衛権の行使であると主張した。それに対してニカラグアのサンディニスタ政権が国際司法裁判所に提訴した結果、アメリカの主張は否定され、集団的自衛権とは認められなかった。この裁判の判決によって、集団的自衛権の行使条件として、攻撃の犠牲となった国家が武力攻撃を受けたことを自ら宣言することと、当該国家からの要請という二要件が必要であると認定された。<最上敏樹『国連とアメリカ』2005 岩波新書 p.170~ / 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』2007 岩波新書 p.31~>

アジアにおける集団的自衛権の議論

 1955年、戦後国際社会の新たな勢力となった第三世界の諸国がインドネシアのバンドンに結集して、第1回アジア=アフリカ会議が開催され、その共同宣言で平和十原則が提唱された。そこでは「武力侵略の否定」、「国際紛争の平和的解決」の一方で、「個別的自衛権と集団的自衛権は尊重される」との一項が盛り込まれた。それは、親米諸国(オブザーバー参加だった日本も)が主張したものであったが、軍事同盟を認めることに反対する意見も強く、エジプトのナセル大統領が妥協案として「大国が軍事ブロックを自国の利益のために用いないこと」という条件を加えることで容認されることになった。


日本の集団的自衛権 問題の推移

日本国憲法と集団的自衛権

 日本国憲法は第9条の第1項で「戦争の放棄」を定め、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳い、第2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と明記している。にもかかわらず、冷戦の深刻化、中華人民共和国の成立、朝鮮戦争というアジア情勢の変化によって、アメリカ(GHQ)の日本占領政策が平和国家建設から日本を反共同盟に組み込むことに転換し、マッカーサー書簡の指示によって警察予備隊を設置し日本の再軍備が開始され、その後、自衛隊を保持することとなった。
 平和憲法下であるにもかかわらず、再軍備することがアメリカによって「押しつけられた」のであるが、それを受け入れるにあたっての政府解釈は、憲法においても「自衛権」は否定されていないというものであった。それはあくまで「個別的自衛権」にとどまる「専守防衛」の枠内なるとされ、集団的自衛権は「国際紛争を解決する手段」としての武力行使にあたるとされてきた。つまり「集団的自衛権」は憲法上認められないというのが従来の政府見解でもあり、一般的な了解事項であった。また、国連の「集団安全保障」のための「PKO」や「多国籍軍」にも直接参加して戦闘行為を行うことはできないとされてきた。自衛隊はあくまで「専守防衛」のためのものであり、アメリカとは日米安保条約を結んでいるけれども、アメリカ軍と合同で外国と戦うことはできないはずである。

安倍政権の集団的自衛権容認論

 ところが第1次安倍内閣(2006年9月~07年9月)になって「集団的自衛権」を認める動きが出てきた。その論拠は、集団的自衛権は国連憲章で認められており、日本国憲法で認められなくとも、国家固有の権利として当然もっているものだ、という理屈だった。また、日本国憲法第98条には、「日本国が締結した条約および確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」とあるから国連憲章に基づいて集団的自衛権を行使しても憲法違反にならない、という「解釈」を進めようとした。それによれば、日米安保条約を締結している同盟国であるアメリカを攻撃するミサイルを日本は黙って見過ごすのでなく、打ち落とすことができる、また打ち落とすべきだ、ということになる。
 民主党政権(2009年9月~12年12月)ではこの議論は一旦後退したが、第2次安倍内閣(2012年12月~2020年9月)は「戦後レジームからの脱却」を掲げ自民党の党是である憲法改正を具体化するため、9条はそのままにして自衛隊を明記する条項を加えるという現実的戦略を立てた。しかし、憲法改正はハードルが高いとみるや、憲法を改正しなくとも解釈で集団的自衛権を認めるというプランを復活させた。
 このようなことが日本国憲法を改訂しなくともできるのか、あるいは憲法改正の理由としてあげられていくのか、大きな争点となっていった。政府は憲法解釈の番人である内閣法制局長官を、政府解釈に都合の良い人物にすげ替えるなどの手を打ち、集団的自衛権を現行憲法の解釈でも可能であるという検討も進めた。解釈で可能なら改正は必要ないことになるが、解釈にせよ改正にせよ、集団的自衛権を日本がアメリカとともに行使するという事態は世界史的な流れから逆行することである。
 「日本を守ってくれているアメリカ海軍がミサイルで攻撃されるのを日本の自衛隊が指をくわえてみているだけでいいのか?」という議論はいかにもわかりやすい。しかしこのように問題を単純化させるには、問題はあまりに危険すぎる。日本がアメリカといっしょに戦争をする道を選ぶことになる。わかりやすいことには危険なことが多い。単純化された議論で思考をストップさせるのではなく、手間がかかっても集団安全保障の理念との関わりを学び、ぜひ世界史的な視野で考えてほしいテーマである。参考書には、上記の浅井氏のもの以外にも<豊下楢彦『集団的自衛権とはなにか』2007 岩波新書 >などがある。

集団的自衛権容認の閣議決定

 第2次安倍政権は、上記のように憲法の下でも集団的自衛権を認める道はないか、という検討を重ね、ついに2014年7月1日、臨時閣議において集団的自衛権を容認する決定を行った。正確にいうと従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定した、ということである。本丸である「憲法改正」に攻め込むのはやめて、まず「解釈の変更」によって集団的自衛権を行使できるように外堀を埋め、アメリカ軍との軍事行動を可能にして既成事実を作っていこうという戦略に見える。

平和安全法案か戦争法案か

 この閣議決定をもとにして関連法である自衛隊法や武力攻撃事態法などの改正に着手、それらは2015年5月「平和安全法案関連法案」(与党は安保法案とも言い、野党は戦争法と称した)ととして国会に提出された。内容は10に上る法律改正案であるが要点は、集団的自衛権を認め、自衛隊の活動をより広範に可能とし、友好な関係にある外国(つまり日米安保条約を結んでいるアメリカ)が敵に攻撃され、それが日本にとって重要影響事態、存立危機事態となる場合は軍事的に支援できる、というものであった。その軍事的行動にはさまざまな制約が課せられているとは言え、基本的にこれまでの専守防衛に限定された自衛隊から、海外での戦争に加担する自衛隊へと自衛隊が変質することになる恐れが大きい。
 法案を提出した政府及びそれを支持する側の理屈は、これらの法律は戦争を起こさない為に必要な抑止力として、つまり平和と安全の為に集団的自衛権は必要なのだ、それは国連憲章にも認められた国家の安全を守る最低の権利なのだ、ということであろう。しかし、集団的自衛権がはたして戦争の抑止力になってきたかどうか、また国際連合の理念に沿うことなのかどうかは、世界史上で点検する必要がある。

平和安全法制

 平和安全法制と総称された自衛隊法改正を含む平和安全保障関連法案は、70年にわたって平和憲法のもとで戦争に加わらなかった日本の基本姿勢が大きく変化することになる恐れがあることから、反対派はこの法案を「戦争法」と呼び激しい廃案運動が起こった。特に6月4日に衆議院憲法審査会で三人の憲法学者(長谷部恭男、笹田栄司、小林節)が揃って集団的自衛権容認は憲法違反であると意見を陳述したこともあって、合憲か違憲かを巡って論争が展開された。マスコミの調査などでは大部分の憲法学者は違憲と判断していることなどが報道され、反対運動は活気づき、国会周辺は連日反対デモが繰り広げられた。
2015年9月19日の強行採決 しかし、7月16日には衆議院、9月19日には参議院で、与党自民党・公明党の賛成多数で可決された。採決は審議不十分を主張する民主党・共産党・社民党などの反対を押し切り、強行採決された。特に参院では17日の特別委員会での採決が混乱し、委員長による議決が不明確なまま本会議に付託され、19日早朝にようやく採決が行われるという状態だった。この2015年9月19日という日付は、戦後日本の歴史の転換点として記憶される日になるかもしれない。

その後の動き

 政府の説明は平和安全法を成立させたのは、国際社会での役割を果たす上で必要という建前論の他に、成立を急いだのは北朝鮮の核開発とミサイルの脅威、中国との尖閣問題、南シナ海への進出など東アジアの緊張が高まっている事に対処するため、という現実論が理由としてあげられていた。事実、その後、アメリカ軍の辺野古基地の埋立開始(2018年12月)、オスプレーの配備、秋田・山口へのイージスアショア(陸上のミサイル迎撃装置)配備計画などが進められた。
 ところが2017年に登場したアメリカのトランプ政権が、北朝鮮の金正恩と会談(2018年6月)し、北朝鮮の核問題・ミサイルの脅威が弱まるという想定外の進展があったりして状況は混沌としている。その一方で2020年に入ってイージスアショアに技術上の問題が判明して防衛省は配備を断念(6月15日発表)、そのかわりに防衛省や防衛族議員の中には敵地先制攻撃能力を持つべきである、という議論が起こっている。8月28日に安倍内閣は退陣したがその最後の記者会見でも敵地攻撃能力は次の検討課題だと明言した。有効な先制攻撃と言ったら核ミサイルを持つことになるのではないか。抑止力というと聞こえは良いが、こうなると日本の核武装論も具体化しかねない。あまり報道されていないが、アメリカ軍と自衛隊の合同訓練などは一段と密接になり、一体化が進んでいるという。

参考 集団的自衛権ではなく集団安全保障を

 現行憲法の下でも集団的自衛権が容認されたことで、平和憲法がありながら日本が戦争に巻き込まれ、あるいはその当事者となるというあり得べからざる最悪の道に踏み込んでいるのではないか、という恐れを感じざるを得ない。改めて世界史を学んで言えることは、二度にわたる世界大戦という苦難の中で明らかになったこととして、集団的自衛権ではなく、集団安全保障の理念に依拠すべきであると言うことだ。多くの問題があるにせよ、今存在する国際連合を生かし、それに加えて東アジア地域の集団安全保障を築くことを真剣に考えよう。
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書籍案内

浅井基文
『集団的自衛権と日本国憲法』
2002 集英社新書

豊下楢彦
『集団的自衛権とはなにか』
2007 岩波新書