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ンクルマ/エンクルマ

アフリカの民族独立運動指導者。1957年ガーナ共和国の独立を達成し、1963年にはアフリカ統一機構を結成した。

 第二次世界大戦後のアフリカ独立運動を指導した代表的人物。日本ではエンクルマと表記されることが多いが、正しくはクワメ=ンクルマと表記。イギリス植民地ゴールドコースト生まれの黒人で、アメリカやイギリスで学びながらパン=アフリカニズムの運動に加わった。特にアメリカの黒人運動の指導者デュボイスの強い影響を受けた。
 帰国後、ゴールドコースト会議人民党(CPP)を結成して独立運動を指導し、イギリスに対して「即時自治」を求め、ストライキやボイコットなどの非暴力不服従運動を展開、逮捕されたが1951年には総選挙を実施させ、自らも獄中から立候補して当選、イギリスとの独立交渉に当たった。

ガーナ共和国独立を指導

 1957年3月6日ガーナ共和国として独立を達成し、首相に就任、さらに大統領となった。ンクルマは1958年4月には第1回アフリカ独立諸国会議を開催、解放闘争の支援、国連での共同戦線、非同盟路線などを呼びかけた。さらに同年11月にはアフリカ全域から250名の代表を集めて「全アフリカ人民会議」を主催し、半植民地主義とアフリカの統一を掲げた。
 1961年にはベオグラードでの第1回非同盟諸国首脳会議に参加し、重要な役割を果たした。ンクルマは1962年には終身大統領となり、1963年にはアフリカ統一機構(OAU)の結成を実現させた。
 しかし国内政治ではCPPの一党独裁体制をとって社会主義に傾斜し、経済不振のため次第に反発を受けるようになり、1966年には中国訪問中に軍部によるクーデターが起こってその地位を追われ、ギニアに亡命した。
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書籍案内

砂野幸稔
『ンクルマ―アフリカ統一の夢』
世界史リブレット 人
2015 山川出版社