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パリ和平会談

ベトナム戦争の和平のために1968年から始まった会談。アメリカと北ベトナムの直接交渉が行われる。難航したが、1973年に和平協定を成立させ、アメリカ軍はベトナムから撤退した。

 1968年5月から、パリで始まったベトナム戦争の和平会議。3月のアメリカのジョンソン大統領が出した北爆停止声明を受けて開始された。
 現地ベトナムでは1968年1月南べトナム解放民族戦線によるテト攻勢が行われ、米軍・南ベトナム軍は次第に押されていた。それでもアメリカ代表と北ベトナム代表が直接顔を合わせての話し合いに世界の期待が集まり、同年5月からパリにおいて週1回の割合で会談が始まった。しかし停戦に合意されたわけではないので、会談中も現地での戦闘は続けられた。

会議の拡大と戦争の拡大

 パリ和平会談は1年後の1969年1月からはベトナム民主共和国(北ベトナム)、アメリカに加え、南べトナム解放民族戦線(ベトコン)ベトナム共和国(南ベトナム)それぞれの代表も参加する拡大会議となった。この間、それに比例してアメリカ国内ではベトナム反戦運動が激しくなった。しかし、和平交渉は双方が有利な条件のもとでの合意を探ったため、なかなか進展しなかった。
 1970年にはニクソン政権は交渉を有利に進めようとしてカンボジア侵攻を行い、さらに翌年にはラオス空爆を行って戦線を拡大した。しかし、ベトナムだけではなくカンボジア、ラオスでもゲリラによる頑強な抵抗に遭い、軍事的成果を上げることができず、かえって国内外の反戦運動を活発にすることとなり、国際的な世論もアメリカを非難するようになった。

和平協定の成立と戦争の終結

 そのような中、ようやくベトナム戦争の停戦、アメリカ軍の撤退、南ベトナムの政治的対立の解決、捕虜の相互解放などで合意に達し、1973年1月27日に、べトナム和平協定(パリ和平協定)が成立した。これによって3月にアメリカ軍はべトナムから撤退したが、南ベトナム政権のあり方には合意がなかったため、政府軍と解放戦線の内戦はなおも続き、1975年4月30日にサイゴンが陥落して南ベトナム政府が崩壊し、ようやく戦争が終結する。
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