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ブッシュ=ドクトリン

2002年にアメリカのブッシュ大統領(子)が発表した安全保障上の原則で、自衛のための(予防的な)先制攻撃を正当化した。実際、2003年のイラク戦争はその考えが実践され、しかも多国間協力ではなく単独か少数の協力国だけによる軍事行動として実行された。

 2001年9月11日に、同時多発テロが発生、ニューヨークやワシントンという中枢を攻撃されたアメリカ合衆国ブッシュ(子)大統領は激しい衝撃を受け、ただちにテロとの戦いを正義の戦いと位置づけ、アフガニスタンのタリバーン政権がテロ集団をかくまっているとして攻撃に踏み切った。
 さらにアメリカ合衆国のブッシュ(子)大統領は、2002年9月20日に発表した「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」を作成した。その骨子は、テロとの戦争においては自衛のために先制攻撃をすることは正当である、つまり予防的戦争という考え方である。またそれは、国際連合の集団安全保障の原則によって安全を守るのではなく、単独又は集団的自衛権の行使であるとされる。ここで集大成された、新たなアメリカの対外政策・安全保障政策は、従来の国連を中心とした多国間の協力によって安全を保障するという多国間行動主義の原則を覆し、ユニラテラリズム(単独行動主義)に一歩踏み込んだものとして重要な意味をもっていた。

先制攻撃論の背景

 また2002年1月の一般教書では、イラク・イラン・北朝鮮を大量破壊兵器を開発しテロを支援している「悪の枢軸」であると非難した。その線上で明確にされたのがブッシュ=ドクトリンである。またその理念の背景には、アメリカ合衆国の単独行動主義=ユニラテラリズムの傾向があった。アメリカ合衆国本土に対する攻撃という脅威に対して、先制攻撃を加えるべきであるという考えは、9・11よりも以前に、いわゆる新保守主義者、(ネオコン)といわれたブッシュ(父)政権の一部政府高官(チェイニー国防長官やウォルフォヴィッツ国防次官などが提唱していたが、表面化していなかった。9・11後ににわかに表面に出てきて、ブッシュ(子)政権によってアメリカ合衆国の防衛戦略に据えられることになった。

集団安全保障と相互確証破壊の否定

 これによって冷戦時代の核戦略の原則であった相互確証破壊(MAD=ケネディの時に作られた、敵(ソ連)の核ミサエル攻撃に対しては先制攻撃は相互に破滅にいたる危険性があるから行わず、敵の第一撃に耐えた後の第二撃で反撃する、という戦略。これが核抑止力となっていた)は破棄されることとなった。また、第二次世界大戦後の国際連合を中心とした集団安全保障の理念とはまったく相容れないものである。この先制攻撃論にもとづいて、ブッシュ政権は2003年3月のイラク攻撃に踏み切り、イラク戦争に突入することとなる。 → 冷戦後のアメリカの外交政策

先制攻撃論の問題

 過去の戦争のほとんどは、「自衛のため」に「先制攻撃」を正当化してきた。それが報復を産み、悲惨な戦争の連鎖を起こしてきたこと、また二度にわたる世界戦争を経験した人類が、戦争を抑止する知恵として編み出した国際連合を中心とした集団安全保障という原則を、そのリーダーであったアメリカ合衆国自身がないがしろにすることになること、また、核兵器の拡散が危ぶまれている現在、先制攻撃論は大変危険な考えであると言わなければならない。
 アメリカの歴史学者で、ケネディ大統領の補佐官を務めるなど、軍事・外交の現場に長く携わったアーサー・シュレジンガー・Jrは、ブッシュ(子)政権の単独行動主義(ユニラテラリズム)、先制攻撃論(ブッシュ=ドクトリン)に対して、2005年に『アメリカ大統領と戦争』を発表して鋭い批判を展開した。大統領の資質もふくめて、アメリカが如何に危険な方向に向かおうとしていたか、を考えさせられる著作である。著者はこの警世の書を残し2007年に逝去した。<アーサー・シュレジンガー・Jr『アメリカ大統領と戦争』2005 岩波書店 藤田文子/博司訳>
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A・シュレジンガー・Jr
藤田文子/博司訳
『アメリカ大統領と戦争』
2005 岩波書店