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ソ連の市場経済導入

1985年に始まるソ連のゴルバチョフ政権でのペレストロイカ(改革)における経済政策。従来の計画経済の枠内で市場経済を導入しようとし、失敗した。

市場経済

 市場(しじょう、マーケット)とは売り手と買い手が取引する場。モノの市場(実物市場)とカネの貸し借り(金融市場)がある。前者は価格、後者は金利が需要と供給の関係で変動するが、自由な取引と競争に任せておけば、市場メカニズムが働いて調整されていく、というのが市場経済の考え方である。資本主義はこのような市場原理の中で、企業が自由に利潤の獲得を競争する社会である。

計画経済

 それに対して社会主義では市場経済を否定し計画経済を行ってきた。ソ連はレーニンの新経済政策(NEP)では一時、市場経済の要素を取り入れる試みが行われたが、スターリン体制下では工業化と集団化は達成されたとして「発達した社会主義」と定義づけられ、資本主義的な利潤追求や競争は一切認められず、市場というものは存在しないこととなった。資本家と労働者という階級対立は消滅し、「働く者にそれぞれの労働に応じて」富が分配される社会となったと公式見解が出されていた。国の経済は国家計画委員会(ゴスプラン)が単一の経済計画を作成し、指令し、管理点検していた。しかし、現実には計画経済のもとで技術革新は進まず、生産力は停滞、官僚機構だけが肥大化し、ヤミの物資が出回るという実態だった。スターリン批判後、フルシチョフや、コスイギンが一部市場経済の要素を取り入れる、かつての新経済政策(NEP)の復活を試みようとしたが、教条的な官僚層に反対されて失敗していた。

ソ連型市場経済の失敗

 西側の技術革新に対するソ連の遅れ、経済の停滞が明らかとなった1980年代中頃にゴルバチョフ政権ペレストロイカが始まると、まず市場経済の導入を図る改革が始まった。具体的には、国営企業の独立採算制への移行させる国営企業法、私的な商業活動を容認した協同組合法の制定、価格の部分的な自由化などが実施された。しかし、計画経済を放棄したわけではなく、市場経済の要素を一部取り入れるだけにとどまった改革はかえって経済を混乱させ、値上げと物不足でインフレが進行し1991年に危機は深刻となり、民衆の中にゴルバチョフ改革に対する不満が強まってしまった。

資本主義側の変化

 この時期の西側諸国の資本主義は、そのものがかつての19世紀的な自由放任ではなく、修正資本主義といわれるケインズ学派が提唱したような国家の財政的なコントロールで実質的に管理し、過度な自由競争を規制し、また社会保障によって富の再分配を図って社会主義的な平等社会を実現していくものに変質していたことに注意しなければならない。ところが、むしろ80年代のソ連が市場主義を導入しようとした時期は、レーガンやサッチャーに代表されるような、ケインズ学派的な修正資本主義を否定して、徹底した市場原理を優先して減税、民営化、規制緩和、社会保障切り捨て、を図って「小さい政府」を実現し、企業の競争力を最大限引き出して経済を活性化させようとする新自由主義が主流になりつつあった時代であった。
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