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太陰暦

月の満ち欠けを基準にする暦法。古代メソポタミア、古代中国、イスラーム世界など広く用いられた。実際の季節とのずれが生じるので、多くは太陰太陽暦で修正されるか、太陽暦に切り替えられているが、イスラーム暦は現在も太陰暦である。

 太陰暦は、人類が最も早く用いた暦法であると考えられ、占星術が行われていた古代メソポタミア文明中国文明で生まれ、現在ではイスラーム暦に見ることができる。

太陰暦と農事のずれ

 季節が一巡する周期、つまり太陽の公転周期は約365日であったが、この数字は古代人が日常使用する数字としては大きすぎたので、古代人は月の満ち欠けの周期(中国では新月を朔、満月を望としてその周期を朔望月という)を1月とし、その12回の周期を1年とした。これが太陰暦であり、1ヶ月は約29.53日であるので、1年は345日となる。
 しかし、これでは季節の変化とずれが生じるので、メソポタミアや中国では345日と365日の11日の差を閏月を設けることで、実際の季節の変化にあわせる太陰太陽暦が用いられるようになった。一般に太陰暦といっているのは、実際にはこの太陰太陽暦である。

太陽暦への切り替え

 太陰太陽暦に対して、太陽暦エジプト文明で始まり、ローマのユリウス暦を経てグレゴリウス暦がつくられ、現在広く使用されるようになった。日本でも1872年(明治5年)に太陽暦に切り替えられた。イスラーム世界では、11世紀のセルジューク朝でイランの太陽暦を改定したジャラーリー暦が作られた。

太陰暦を用いるイスラーム世界

 しかし、イスラーム世界では現在もなお、完全な太陰暦であるイスラーム暦(ヒジュラ暦)が使われている。それは、聖典『コーラン』に「天地創造の日、神の啓典に定められたところによって月の数は十二であり、そのうち四ヶ月は神聖月である」と定められているからである。実際には太陰暦のカレンダーは農作業では使えないので、イスラーム世界でもヒジュラ暦とともにグレゴリオ暦(太陽暦)の両方を使っている。<広瀨匠『天文の世界史』2017 インターナショナル新書 p.43>