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太陽暦

太陽の運行に基づく暦法。古代エジプトで始まる。

 メソポタミア文明や中国では太陰暦(厳密には太陰太陽暦)が行われていたのに対して、エジプト文明では太陽暦が行われていた。
 ナイル川の定期的な氾濫を利用して灌漑農業を営むようになったエジプト人は、365日で1年がめぐることを知るようになり、太陽の運行をもとにした太陽暦に、紀元前5000年頃に移行したという。初めは1月は30日で年12ヶ月、5日の祝日を入れて365日とする民衆暦が工夫された。後に4年に1度の閏年をいれることによってより正確に季節変化に合うようになった。季節の変化と一致しない太陰暦に対して、農作物の栽培に適合しているために次第に広く使われるようになり、カエサルがこれをローマに導入してユリウス暦とし、地中海世界・ヨーロッパで広く行われるようになった。それでも実際の太陽の運行とはわずかなズレがあって、それが次第に大きくなり、復活祭の日付が季節とずれてきてしまったために、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が定めたグレゴリウス暦でほぼ現在の太陽暦ができあがった。現在は世界共通の暦日としては太陽暦が使われているが、イスラーム世界では祭礼や生活習慣では依然として太陰暦であるイスラーム暦が用いられている。

エジプトの太陽暦

(引用)ナイル河デルタの古代エジプトでは、ナイルの定期的氾濫が関心事であった。そのため、ナイルの氾濫の周期をたしかめるとか、またはそれを予知する方法が熱望された。そして、天上第一の明星のシリウスが日の出と同時に東の地平線から上がって来るのが見えると、ナイルの氾濫が始まることを知った。このシリウスのいわゆる「ヘリアカル・ライジング」の観測は、国家的儀式としてとりおこなわれたようであるが、当日曇天であっても予報にさしつかえないように、その周期はよく定められ、365.25日とされた。・・・・紀元前46年に、シーザーはエジプトの一年の長さ365.25日をローマに輸入し、これにもとづくユリウス暦によって、それまでおこなわれていたローマ暦を改革し、全面的な太陽暦を施行した。平年は365日で、4年ごとに1日の閏日を置くものである。・・・<広瀨秀雄『年・月・日の天文学』1973 中央公論社・自然選書 p.146>
 → ナイル川と太陽暦