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アレクサンドロスの大帝国

前4世紀に、アレクサンドロス大王が建設したギリシア本土からオリエントに広がり、インダス地方に及んだ大帝国。ギリシア文化とオリエント文化が融合しヘレニズム文化が形成された。大王の死後、後継者によって分割された。

 アレクサンドロスは、東方遠征によってアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、さらに前327年までかかって中央アジアのバクトリアとソグド人を平定し、今度は南下してインダス川流域に入った。さすがに長期にわたる遠征に飽いてきたマケドニアの将兵は、それ以上の東進に反対、アレクサンドロスもそこから引き返すことになった。そして途中のバビロンで熱病にかかり、前323年に急死した。
 アレクサンドロスの帝国は、ギリシアから小アジア、エジプト、シリア・メソポタミア・イラン・バクトリア・ソグディアナ・インダス川流域に及び、地中海世界とオリエントを含む、広大なものとなった。この大帝国の成立により、ギリシア文化とオリエント文化が融合し、ヘレニズム文化が成立した。
 → アレクサンドリアの建設  アレクサンドロスの集団結婚式

ヘレニズム時代

 アレクサンドロスの大帝国は大王が前323年に急死した後、ディアドコイと言われる後継者たちによる争いによって分裂、本国マケドニアにはアンティゴノス朝マケドニア、メソポタミアからイラン高原一帯にはセレウコス朝シリア、エジプトにはプトレマイオス朝エジプトのいずれもギリシア人を支配者としたヘレニズム三国に分離した。それらのもとでギリシア文明とオリエント文明の融合が進みヘレニズム文明が形成された。
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