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インダス川

ヒマラヤを源流とし、インド西部を南下してインド洋に注ぐ大河。流域にインダス文明が形成された。現在の主流はパキスタンを流れる。

インダス文明を生み出す

インダス川流域
インダス川 赤は主要遺跡
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 ヒマラヤ山脈を水源とし、西部インドを北から南に貫流する大河。カシミールを最上流域とし、中流域をパンジャーブ地方、下流域をシンド地方という。シンド地方のモヘンジョ=ダーロ遺跡、パンジャーブ地方のハラッパー遺跡に代表されるインダス文明がこの流域に展開した。パンジャーブとは、5本の川の意味で、土地が肥沃であり、また東西文化の交流地点でもあった。

アーリヤ人の移動

 前1500年頃、北西方面から、カイバル峠を越えてアーリヤ人がインダス川上流のパンジャーブに侵入し、この民族移動によってインドは鉄器文明の段階に入った。彼らの征服活動はさらに東進し、ガンジス川流域に広がって行き、都市国家が形成されていった。その過程で、叙事詩ヴェーダが生まれ、さらにカースト制度バラモン教などのインドの文明と社会の基調となる要素が定着していった。

アレクサンドロスのインダス川到達

 そして前4世紀のアレクサンドロス大王のインド侵入はインダス川流域に達したことが、インドを都市国家の分立段階から統一国家形成への転換点へと導いた。ガンジス流域の都市国家を統合したマウリヤ朝はその勢力をインダス川流域まで及ぼし、インドをはじめて統一した王朝となった。
 紀元後1世紀になるとイラン系民族のクシャーナ人がインダス川流域に入り、クシャーナ朝を興し、都をインダス川流域のプルシャプラにおいた。このマウリヤ朝・クシャーナ朝を通じて仏教の保護が行われたことが特色となっている。ガンジス流域に始まった仏教はインダス上流から更に北に伝えられガンダーラを仏教美術の中心地として繁栄させ、ヘレニズムと接触しただけでなく、中央アジア、西域を通って中国に伝えられることになる。
 このように見ていくと、インダス川流域は文明の発祥の地であると共に、広い範囲で文明が交錯する、重要な地域であったことが判る。
注意 インダス流域は現在はパキスタン領 インダス川流域はインド文明の発祥の地であり、広い意味でインドに属し、事実、イギリス植民地時代もイギリス領インド帝国を構成していた。しかし、第二次世界大戦後、インドの分離独立によって、インダス川流域はインドではなくパキスタンとして独立した。それは、この地域がイスラーム教徒が多く、インドの多数派のヒンドゥー教徒と対立した結果であった。インダス川流域は現在ではパキスタン領となっていることに注意しよう。

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