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ヒンドゥー教で牛(特にインドこぶ牛)が神聖な動物とされている。現代のインドでもヒンドゥー至上主義のもと、牛を保護する運動が起きている。

 インドで発展したバラモン教及びヒンドゥー教では牛は神聖な動物として扱われ、殺したり、その肉を食したりすることは許されていない。インダス文明の印章にも牛が描かれており、牛に対する自然な信仰は早くからあったらしいが、牛肉食の禁止は農耕時代になってから、特にアーリヤ人がガンジス川流域に進出して牛耕が普及してからだろう。開拓には牛が不可欠であったところから、特別な家畜として重要視されるようになったらしい。『マヌ法典』にも牛はバラモンと同じ浄性を持つとされている。さらにヒンドゥー教のクリシュナ神信仰の流行とともに牝牛の崇拝が定着した。近代でも牝牛崇拝はヒンドゥー教徒の団結の象徴と考えられ、ガンディーもしばしば牝牛崇拝は自然なヒンドゥー教徒の心情として守るべきことを説いている。そのようなヒンドゥー教徒からすれば、イスラーム教徒が牛を食用にすることは許されないという感情的な対立も起こった。現在は都市でも牛は自由に動き回り、大切にされているが最近ではデリーなどでは増えすぎた牛をどうするか問題になっているという。 → ヒンドゥー至上主義

Episode 水牛は牛ではない

 ヒンドゥー教で聖牛とされるのは、背中に瘤のあるいわゆる「インド瘤牛」である。この牛は身体に神が宿っている聖牛とされ、殺してはいけないし、ましてや食べることは許されない。それどころか、ヒンドゥー教徒はその尿を聖水としてお浄めのために飲み、その神聖な糞を儀式で喜々として身体に塗りたくる。それはけして不潔なものではなく、聖なる行いなのである。ところが、牛と言っても水牛はその扱いを受けない。逆に水牛は神話では魔神の乗り物であり、忌み嫌われている。したがって水牛を殺すことは認められており、今でも祭りでは水牛が犠牲獣として山羊や羊と一緒に殺されている。またその肉は外国人の肉食用に提供されている。水牛には迷惑な話だが・・・。<森本達雄『ヒンドゥー教 -インドの聖と俗』2003 中公新書 p.170-182>

参考 ヒンドゥー至上主義、牛肉産業に逆風

 ヒンドゥー教徒は、牛の中でもとくに「こぶ牛」の体内には無数の神が宿っていると信じて崇拝している。したがってこぶ牛を殺したり、ましてやその肉を食べることは許されない。ただし、上に記したようにこぶ牛以外の水牛は食肉とされてきた。約2億人いるといわれるインドのイスラーム教徒は水牛の肉を食べ、しかも牛肉を輸出し、主要な輸出産業となっている。実はインドは牛肉の輸出国だったのだ。とくにイスラーム教徒の多いウッタルプラデシュ州西部のアリーガルには大規模な食肉加工工場があり、最盛期には1日2千頭が処理されていた。牛肉は冷凍食品とされマレーシアやベトナムに輸出され、2016年には176万トンの輸出量でブラジルを抑えて世界一になっている。ところが、最近はヒンドゥー教徒が「こぶ牛」以外の牛を殺すことにも神経を尖らせ、各地でイスラーム教徒の食肉店が襲われるなどの暴力事件が起きるようになった。そのため農家から牛が集まらなくなり、牛肉産業が逆風にさらされているという。その動きは2014年にインド人民党のモディ政権が成立してから強まっている。インド人民党は「ヒンドゥーの伝統によってインド社会の統一」をめざす「ヒンドゥー至上主義」を掲げており、こぶ牛殺しの罪を終身刑としたり、街角の牛が食肉にされるのを防ぐための「牛の保護運動」を進めたりしている。実際に牛の保護のために牛シェルターが作られ、中部ナーグブルでは約500頭が保護された。インド人民党の一強体制はますます強まっており、牛肉輸出産業への逆風はますます強まりそうだ。<朝日新聞 2017/4/24>  → コミュナリズム
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書籍案内

森本達雄
『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』
2003 中公新書