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天可汗

唐の太宗が東突厥を従えたとき、モンゴル草原の遊牧民から贈られた称号。天から権力を授けられた者、の意味で、太宗は遊牧民の世界に支配者としても認められたことになる。

 てんかがん。630年太宗(李世民)は軍隊を派遣してモンゴル高原の東突厥を攻撃した。唐軍は突厥と同じトルコ系の鉄勒と結び、東突厥を服属させた。このとき、鉄勒諸族は、太宗に対して、天可汗(テングリカガンの漢訳)という称号を贈った。可汗とはモンゴル語の「カーン」(ハン)にあたる言葉であるので、この称号は遊牧民の最高君主、「世界皇帝」を意味することになり、これによって唐の太宗はまさに「世界帝国」の統治者として認知されたことになる。

唐の対外開放路線

 唐の太宗は突厥を従えてから、積極的に西域への進出を開始した。また唐は、秦・漢帝国のような万里の長城を築いて北方民族から防衛するということには関心を持たず、辺境に6ヵ所の都護府を置いて防衛とともに進出の足場とした。特に西域に対しては関心が高く、その統治範囲は最大で中央アジアの西トルキスタンにまで及んだ。  → 唐と隣接諸国
(引用)唐では、太宗が懸案であった対突厥問題に決着をつけて以降、対外開放路線が定着する。かれは中国国内の皇帝であることとともに、西域系諸国がたてまつった天可汗の称号に喜んだ。唐は歴代王朝のなかで、長城による防衛にはほとんど関心を持たなかった希有な王朝であるが、その方向は太宗時に確定した。太宗をしてこう動かしめたのは、唐朝たもつことになった突出した力への自信ではなかったか。その上でかれは、西域諸国からさらに西の国々や文明と直接関係をもつことにこだわった。<気賀澤保規『絢爛たる世界帝国 隋唐時代』中国の歴史6 2005初刊 2020 講談社学術文庫 p.244>
 この指摘は、例えば、「唐はほとんど長城の構築に関心をしめしていない。それは何故か。」という設問に対する回答になるだろう。

出題

 「天可汗」は、山川世界史用語集(2022年版で確認)では取り上げられていないが、2024年の詳説世界史・世界史探究では本文<p.44>で扱われているので、必須用語となった感がある。要注意。
 それ以前から、入試問題では見られている。
2004年 早大教育 第3問(部分改) 唐は、第2代太宗の治世に( a )を滅ぼし、太宗は西・北方諸族の首長から( b )の称号を受け、大帝国へと発展した。空欄に入る適切な語を漢字で記入しなさい。

解答・解説