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大祚栄

高句麗の遺民と靺鞨人を率いて、689年、渤海国を建国した人物。大が姓で祚栄が名。王号は高王。

 ツングース系の靺鞨族を率い、698年に震国を建てた。一般にこの時を渤海国の建国としている。さらに713年に唐の玄宗より渤海郡王に封じられた。これをもって実質的に渤海国となった。
 大祚栄(だいそえい)?-719 の父は乞乞仲象(コツコツチュウショウ、音に無理やり漢字を当てたに過ぎない)で粟末(ゾクマツ)靺鞨出身と言われているが、異説もある。父は668年に滅亡した高句麗の遺民を吸収して満州から朝鮮半島北部に大きな勢力を作り上げたものと思われる。その子大祚栄は、靺鞨族の反乱の中から頭角を現し、靺鞨諸族を糾合して自立すると、自らは「高句麗の遺民」として大祚栄と名のった。なお、「大」が姓で「祚栄」が名にあたる。渤海国王としては「高王」と称した。
 それ以後、この王統は、代々「大」を姓とし、第二代大武芸が武王、第三代大欽茂が文王と称し、以後、滅亡まで15代続いた。

大祚栄の出自は不明か?

 大祚栄については、その出自をどの種族とするかで意見が分かれている。韓国・北朝鮮では高句麗人とし、中国では粟末靺鞨人とするのが公式見解である。それは史料によって異なるからであり、『旧唐書』では「高句麗の別種」とし、『新唐書』では「大氏は粟末靺鞨で高句麗に属する者」となっているためで、朝鮮・中国がそれぞれ都合のいい方を取っているからである。
(引用)それぞれの論者は、自説を補強するために関連史料を提示したり、自説に有利になるような解釈をしたりしているが、正直なところ決め手に欠ける。大祚栄の父、乞乞仲象の名前から靺鞨人のような印象も受けるが、高句麗人も本来は中国風の姓名を名乗っていたわけではなく、これも印象論に過ぎない。私としては最大公約数を取り、高句麗遺民で、出自は高句麗人か粟末靺鞨人かは不明、という理解に留めておきたい。そもそも王家の種族系統など、国家の種族系統とは無関係で、これを争うこと自体ナンセンスである。<古畑徹『渤海国とは何か』2018 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 Kindle 790/4936>
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古畑徹
『渤海国とはなにか』
歴史文化ライブラリー
2018 吉川弘文館