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イスラームの西方征服

ウマイヤ朝はエジプトからさらに西方に進出し、北アフリカを征服、さらに711年にイベリア半島に侵入した。

ベルベル人のイスラーム化

 イスラーム教国のウマイヤ朝は東西で領土を拡大したが、そのうち西方では将軍ムーサーが指揮し、677年に軍営都市(ミスル)としてカイラワーンチュニスに建設した。その近くには古代の大国カルタゴがあったが、その地は697年にイスラーム軍に征服された。
 8世紀初めまでにビザンツ帝国勢力を駆逐して西方への侵出の基地となった。北アフリカの西部、マグリブ地方のベルベル人はキリスト教徒が多かったが、急速にイスラームに順応し、その最西端であるモロッコまでイスラーム化した。

イベリア半島のイスラーム化

 711年、ベルベル人のイスラーム教徒で将軍となったターリクは、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に進出し、西ゴート王国のロデリック王の軍をリオ=バルバーテの戦いで破り、都トレドを占領した。アラブ軍の本隊を率いるムーサーも続いてイベリア半島に入り、セビリャとサラゴサを占領した。713年、西ゴート王国は滅亡し、イベリア半島の大半はウマイヤ朝の支配を受けることとなり、アンダルス(ヴァンダル人の国を意味するアラビア語。現在のアンダルシアの起源)と呼ばれるようになった。なお、同じ711年にウマイヤ朝のムスリム軍は東方ではインドに侵入し、翌年インダス川流域を征服している。
 732年にはイスラーム軍はピレネー山脈を越えてフランク王国に侵入したが、宮宰カール=マルテルの率いるフランク軍と戦い、トゥール・ポワティエ間の戦いで敗れて後退し、ヨーロッパ支配はイベリア半島にとどまった。  →第6章1節 イスラームのヨーロッパ侵入 
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