グリーンランド
北米大陸の東北の南北に長い世界最大の島。10世紀にノルマン人が進出し、西海岸にはタラ漁の拠点として栄えた。はじめノルウェーが領有したが、14世紀末から同君連合となったデンマーク領となり、北欧系移住民と先住民イヌイットの混血が進んだ。その後も帰属問題が起こったが、1933年にデンマーク領であることが確定した。冷戦時代は北極海をはさんでソ連と向かいあっているため、アメリカは軍事的に重視し、デンマークもNATOに加盟した。1979年にはグリーンランド自治政府が樹立された。

グリーンランド Google Mapで作成
ノルウェー人はフィヨルドを拠点にして、彼らがノルウェー海または西海とよんだ北海・北大西洋に進出し、シェットランド諸島・フェロー諸島・アイスランドに定住し「北欧」を拡大した。アイスランド人のあいだにさらに西方に陸地があることが噂され、982年に「赤毛のエリク」(エイリーク)が探検し「緑の島」グリーンランドと名付けた。彼らはイヌイットと交易しながら定住を試みていったが、イヌイットのような狩猟技術を身につけることがなかったため、酷寒の地で定着することが出来ず、やがてほぼ消滅していった。<『北欧史』Yamakawa Selection 上 p.7,p.33>
樹木がないのに「緑の島」
グリーンランドの発見者は「赤毛のエリク」(エイリーク)である。彼の父は人を殺したのでノルウェーの西南部からアイスランドに移住してきたが、エリクもまた同じ理由でアイスランドを追放され、グリーンランドの東南海岸沿いに南下し、南端のフェアウェル岬を迂回して西海岸のエリク島でひと冬を過ごし、西南海岸のフィヨルドに入りその奥に上陸した。その地はグリーンランドで最も肥沃な土地であった。エリクはアイスランドに戻り、新しい土地を「緑の島」(アイスランド語でグリュンランド)という魅力的な名前で呼び、アイスランド(「氷の島」)の島民に移住を勧めた。グリーンランドこそアイスランドで、樹木などない。986年に25隻に男女が乗り組み、グリーンランドに向かったが、嵐に遭い、わずか14人が到着したにとどまった。この最初の入植地はプラッターリズ(急斜面という意味)と名づけられ、「東植民地」の中心地となった。後に西海岸の北極圏近くに「西植民地」が設けられた。<荒正人『ヴァイキング』1968 中公新書 p.21>ヴァイキングの子孫の末路
1000年頃、レイフ=エリクソン(エリクの息子。アメリカ大陸に到達した人物)によってグリーンランドにキリスト教が伝えられ、教会堂が建てられ、聖職者もやってきた。その間、かなり多くのヴァイキングが移住し、特産の「せいうち」の牙を求めて海に乗り出した。セイウチの牙は、イスラーム勢力の進出によって地中海貿易が衰えたためアフリカの象牙がヨーロッパに入ってこなくなったための代用品として需要が高くなっていた。1262年以降、グリーンランドはノルウェーの属領となった。それは特産のセイウチの牙を運ぶ船の保護のためノルウェーの大型帆船に提供してもらう必要があり、その統治を承認したからだった。ノルウェーはグリーンランドの産物を独占しようとしてアイスランドとの貿易を禁止した。しかし、ノルウェーの貿易の重点がアフリカの象牙やロシアの毛皮などに移ると、グリーンランドは見捨てられることとなり、1410年からは大型帆船がやってこなくなってしまった。そのころから気候も悪化し初め、残されたヴァイキングの子孫たちは次第に数を減らしていった。やがてエスキモーが北部から南下してきて、たびたび争うようになり、少数のヴァイキングの子孫たちは敗れ去り、ほとんど絶滅してしまった。現在は教会の建物の跡などが彼らの存在を伝えているだけである。<荒正人『ヴァイキング』1968 中公新書 p.25-28>
Episode ヴァイキングの子孫の絶滅
ヴァイキングの船は甲板のないクナール船やロングシップであったので、13世紀ごろからヨーロッパ全体の気候の寒冷化により流氷の南下が増えるなどの悪条件が強まり、次第にアイスランドやグリーンランドとの行き来ができなくなっていった。グリーンランドの氷床コアを分析すると1343年から1362年の20年間ははるかに寒い夏が続いたことがわかる。ニパートソックというところに残された彼らの生活した農園を発掘すると、牛小屋には5頭分の牛の骨が出てきたが、おそらく酪農用の牛を最後に食べ尽くしたものと思われる。また室内には犬の骨が散らばっており、狩猟用の犬も切り刻んで食べたらしい。(引用)家の中に人骨はなかった。生存者に体力がなかったために埋められなかった遺体もなければ、埋める人がもう誰も残っていなかった最後の一人の遺体もない。食料部屋にアザラシの肉がわずかに残るばかりとなり、ニパートソックの農民はとにかくここを去ろうと決心したのかもしれいない。彼らがどこでどのような最期を遂げたのかは、誰にもわからない。そこから数キロ先に住んでいた隣人のイヌイットから、回転式離頭銛などの伝統的な氷上の狩猟技術を学んでいれば、ワモンアザラシを一年中捕獲することはできたし、恵まれた年ですら彼らを脅かしていた晩春の危機を避けられたかもしれない。おそらくイヌイットの未開人じみたやり方に嫌悪感を抱いていたのだろう。あるいは、彼らの文化的な帰属意識や考え方があまりにもヨーロッパに強く根ざしていて、そういうやり方になじめなかったのかもしれない。<ブライアン=フェイガン/東郷えりか他訳『歴史を変えた気候大変動』2009 河出文庫 p.134>
バスク人やイングランド人の渡来
グリーンランド西海岸のスカンディナヴィア人が絶滅したのに代わって、グリーンランドに進出してきたのはバスク人やイングランド人だった。かれらはスカンディナヴィア人のようなクナール船ではなく、船体の骨組みに外板を張った二本から三本の檣(マスト)を持つ外洋船であるドッガー船をあやつった。それは北海南部のドッガー・バンクでのタラ漁で使われていたもので、次第にタラの漁場を求めてアイスランドからグリーンランド沿岸に進出してきた。Episode 「海の牛肉」タラを求めて
タラはローマ時代から食べられていたが、8世紀ごろからヨーロッパでニシンと共に巨大な市場を作るようになっていた。カトリック教会ではキリストが磔刑になった金曜日や、四旬節の40日間などの祭日には断食をすすめ、性交を禁じていて、赤肉など熱い食べ物も食べてはいけないとされていたが、魚や鯨の肉は海でとれる「冷たい」食べ物なので食べても良いと認められた。魚は普通、腐ってしまうがタラは塩漬けにして乾燥させれば日持ちするので大量の輸送もでき、貴重な食材としてひろがったのだ。塩漬けのタラは大航海時代のヨーロッパ人のエネルギー源となり、エリザベス朝時代の船乗りには「海の牛肉」として知られていた。陸上でも塩漬けタラをビールやリンゴ酒、マデイラ・ワインで胃に流し込むのが普通だった。そこでタラは金よりも価値がある物資として何世紀もの間ヨーロッパの国々の漁業を支えていた。<ブライアン=フェイガン/東郷えりか他訳『歴史を変えた気候大変動』2009 河出文庫 p.136-137>ところが1410年にベルゲンを支配したハンザ同盟がノルウェー沖漁場のタラ漁から外国船を締め出してしまったため、イングランドやバスクの漁民は、新たな漁場を求めて、アイスランドやグリーンランド沿岸へと出て行かざるを得なくなった。彼らはそのころ豊富な木材を利用して、船隊の骨組みに外板・甲板を付け、2~3本のマストを持つ帆船ドッガー船を作り、遠洋を航海可能にしていた。特にイングランドのブリストルはアイスランドのタラ漁場とフランス南西部やスペインのワインの産地との中間にあったので、貿易港として栄えるようになった。
デンマーク領となった経緯
グリーンランドに入植したのはノルウェー人であったが、14世紀末になるとデンマークの女王マルグレーテがノルウェー王を兼ねるようになってデンマーク人の進出が始まった。デンマークは、さらにスウェーデンを加えて1397年にカルマル同盟を成立させ、北欧三国は同君王国となった。15世紀には同盟の首位にあったデンマークはヨーロッパにおける大国として最盛期を迎えた。カルマル同盟は16世紀にスウェーデンが分離したが、デンマークによるノルウェー支配はその後も続き、グリーンランドにはデンマークによる探検、入植、キリスト教(ルター派プロテスタント)の布教が行われた。デンマークによる植民活動 17世紀のデンマーク王クリスチャン4世はスウェーデンとの戦争(1613年、カルマル戦争)に勝利した後、重商主義政策を採り、1616年には東インド会社を設立してインドでの植民地獲得に乗り出したが、インド航路ではポルトガル、イギリス、フランスに後れをとっていたため、北回りの航路を開発しようとしてグリーンランド探検を行わせ、1619年には「グリーンランド交易会社」を設立した。しかしクリスチャン4世は三十年戦争への介入に失敗して国力を低下させたためグリーンランド経営も停滞した。デンマークのグリーンランド開発が進んだのは次のフレデリク4世の時、1721年に北ノルウェー出身のハンス=エーゲデが国王とベルゲンの貿易会社の援助を受けてキリスト教(プロテスタント)伝道のためにゴドホープに上陸し交易所を兼ねた伝道拠点を設けてからだった。「エーゲデが出合うことを願っていた中世に植民した北欧人の子孫はすでに死滅していて、会えたのは現在イヌイットと呼ばれている人々だった。」<『北欧史』Yamakawa Selection 上 p.199>
エーゲデは「グリーンランド最初のキリスト教伝道者」として功績を残したが、天然痘の流行によって妻を失い、コペンハーゲンに戻った。その後もグリーンランドとの交易と布教に努め、グリーンランドの「監督」(ビスコプ)に任じられた。現地のことばを学んだその子どもたちのうち、ニルスはグリーンランド交易や捕鯨業に携わり、ポールは伝道師として新約聖書のイヌイット語訳を完成させている(1766年)。
デンマーク人はグリーンランド西南海岸に交易のための入植を行いその結果多くのイヌイットとの混血が進んだ。現在デンマーク語で「グリーンランド人」と呼ばれるイヌイットたちの姓名の多くはデンマーク人のそれとあまり区別が付かなくなっている。<『北欧史』下 p.199>
グリーンランドの帰属問題
デンマークとノルウェーの同君連合はその後も続いたが、ナポレオン戦争でデンマークがナポレオン陣営に立ったスウェーデンに敗れたため、ノルウェーを割譲した(1814年1月)。反発したノルウェーは、独立宣言を行ったが軍隊を派遣したスウェーデンに抑えられてしまった。こうしてデンマークとノルウェーは分離され、ノルウェーはスウェーデンとの同君連合のもとにおかれることになったが、ウィーン会議ではグリーンランドはアイスランドと共にデンマークの支配が維持されることになった。<『北欧史』上 p.217>デンマーク領として確定 19世紀後半、ヨーロッパでの自由主義・民族主義の運動が高揚すると、ノルウェーでもスウェーデンからの独立運動が活発隣、1905年にスウェーデンもそれを容認、ノルウェー王国が国際的にも承認された。独立したノルウェーは、東グリーンランドの領有を主張したので、デンマークとの間でグリーンランド帰属問題が起こった。この問題は第一次世界大戦後にも持ちこされたが、新たに国際紛争の調停機関として設けられた国際連盟での調停が行われ、1933年、グリーンランド全域がデンマーク領として確定した。
東西冷戦下のグリーンランド
第二次世界大戦中の1941年4月、アメリカ軍がグリーンランドに駐留を開始した。これはデンマークの駐米大使が、当時ドイツ軍に占領されていた本国の意向を無視してアメリカと協定を結んだためであった。デンマークは戦争終結直後に事後承認したがアメリカ軍の撤退も希望した。しかし、東西冷戦が深刻化する下で、北極海を隔ててソ連と相対する位置にあるグリーンランドは、戦略上の重要度が増したため、アメリカ軍の駐留はその後も続いた。デンマークのNATO加盟 デンマークが1949年に結成された北大西洋条約機構(NATO)に加盟したため、1951年にアメリカとデンマークの間でグリーンランド防衛協定が成立し、アメリカ軍が空軍基地を継続している。ただし、デンマークはソ連との関係にも配慮し、本国内にはNATO基地を置かないことを方針としている(スウェーデンも同様)。なお、1979年にはグリーンランド自治政府が設置されたが、主権は依然としてデンマークが確保しており、グリーンランド防衛に関する権限は本国政府が握っている。 → 現代のデンマーク
グリーンランドの自治
長く植民地支配状態が続いたグリーンランドでは、1862年に、初期的な地方自治制度が導入され、そのころ最初のイヌイット語紙も発刊された。1908年、25年にも若干の自治権が認められたとはいえ、1933年のノルウェーとのグリーンランド領有問題が決着してからは、デンマークの支配体制は揺るぎないものになった。第二次世界大戦中には本国がドイツに占領されるとグリーンランドにはアメリカ軍が上陸して空軍基地を設けたため、グリーンランドは初めて外界と接触することになった。島民はその後、ふたたび「閉鎖された世界」にもどることをためらうようになり、デンマーク政府はグリーンランド委員会を設置して対応しなければならなくなった。その結果、グリーンランド議会の比重は増し、教育・結核撲滅に効果を上げ、1955年から65年には人口爆発がおこった。1953年にはデンマーク憲法が改正され、グリーンランドは植民地状態から本国に属する「一地方」に格上げされ、本国議会に二名の代表を送ること、島民は本国住民と同島の基本的人権をもつことが確保された。
グリーンランド自治政府旗
グリーンランドのEC離脱 デンマークがECに加盟したことでグリーンランドにもEC加盟国の漁船が近海で操業するようになり、漁獲高割り当ても島民に適用されることになった。それに対する不満からシウムット党を中心にEC離脱が主張され、1982年の住民投票の結果、53%が離脱を支持した。それをうけてデンマーク政府とグリーンランド自治政府はECとの離脱交渉に入り、84年2月、EC外相理事会で合意が成立した。3月にグリーンランド自治議会は離脱を可決し、翌85年2月1日をもってグリーンランドはECから離脱した。
*デンマーク王国はECの後継であるヨーロッパ連合(EU)に加入しているが、グリーンランド自治政府は現在も依然としてEUに加盟していない。デンマークのグリーンランド領有にはかなり無理があることが判る。
高まる自治要求
グリーンランドは厳しい環境の中で石油暖房による生活の維持が必要であるが、同時に環境汚染の問題も抱えている。環境の保護と本国並みの生活水準の維持が図られることで、島民の一人あたりGNP水準はアイルランド、イタリア、ギリシアなどのEU加盟国よりも高くなっている。しかしそれを維持するためのデンマーク本国からの補助金は本国の重荷となっている。一方、シウムット党などには将来のデンマークからの独立の主張も現れており、デンマーク国民の約4分の1はグリーンランド(およびもう一つの自治領フェーロー諸島)の独立を容認しているともいわれている。<以上、『北欧史』Yamakawa Selection 下 p.201-206によって構成>2009年4月に「デンマークのグリーンランドの自治に関する法令」(自立法)が成立し、石油・鉱物資源等の天然資源の所有権をグリーンランドに与え、資源収入の配分率をグリーンランドに有利に設定する内容であった。これは、長期政権であるラスムセン政権の下で進められた、デンマークはグリーンランドを媒介にして北極海域に隣接するロシア、カナダ、ノルウェー、アメリカとともに「北極海五ヵ国」の一員として、その気候変動と利権にたいする当事者の立場を強める動きであった。以上、『北欧史』Yamakawa Selection 下 p.237>
トランプ、グリーンランド買収の意向
2019年8月20日のNHK.TVニュースはアメリカのトランプ大統領がデンマークの自治領グリーンランドをアメリカが買収することに関心を持っていることを明らかにしたと報じた。さすがに不動産王、目の付け所がすごい、と驚いたが、はたして実現の可能性はあるのか。トランプは「買収した際の資源や地政学的な利点について検討するよう側近に指示した」というが地政学的な利点とは、言うまでもなくロシアに対する戦略的な好立地を言う。北極海を挟んでロシアを威圧できるからだ。トランプは18日、記者団に対し「戦略的に魅力的だし、関心はある。最重要課題ではないが、デンマーク政府と話をしてみる」と述べたが、デンマーク政府は「グリーンランドは売りに出ていない」という声明を出すなど、グリーンランドが買収されることを一貫して否定しており、ロシアやカナダ、NATO諸国は反発するだろうから、実現は困難であろう。
その後の報道によると、アメリカは1946年にも買収を持ちかけたが不成立だったという。今回もデンマークのフレデリクソン首相は「ばかげている」と一蹴した。現実離れした買収話のように見えるが、アメリカにとって、北米に親中国国家が誕生するかも知れないという危機感を持っている。というのは、元々グリーンランドにはデンマークからの独立の動きがあり、そこに来て近年の温暖化で氷が溶け資源開発がしやすくなるという変化が生じている。自治政府は中心のヌークなどの飛行場の拡充などをデンマーク政府に働きかけたが、デンマーク政府はグリーンランド開発に消極的であるため、自治政府は中国に協力を求めた。中国は乗り気で投資を約束、慌てたデンマークも急きょ出資を決めたが自治政府の不信感は強まっており、中国との関係を深めている。アメリカは島北部のチューレに基地を置き北極海を睨み、米本土に飛んでくる大陸間弾道ミサイルを検知するレーダーを装備して防衛拠点としているので、グリーンランドが仮に独立して親中国国家となったら大きな打撃となる。それが、今回のトランプのグリーランド買収発言の背景だった。<『朝日新聞』2019/8/26朝刊記事による>
トランプ、グリーンランド所有に意欲
2025年1月、大統領に復帰したトランプは、再びグリーンランド領有に意欲を見せた。特に世界を驚かせたベネズエラ侵攻の直後の2026年1月9日にはアメリカがグリーンランドを必要としているのは、ロシアと中国の脅威から防衛するためであるとして、その手段が外交的な買収でうまくいかない場合には実力行使、つまり武力によって奪取することも辞さないと発言した。それにたいしてデンマークのフレデリクセン首相は「グリーンランドは売り物ではない。またアメリカが力で奪おうとするなら、それはNATOの終焉を意味する」と反発した。さらに2026年2月28日にトランプ大統領は突然、イラン攻撃を開始、最高主導者ハメネイ師などを空襲で殺害するという挙に出た。これはイランの核開発を阻止するため、ということが口実とされたが、イスラエルのネタニヤフ政権と歩調を合わせた軍事行動であった。トランプ政権はすぐにイランの体制を転換させることが出来ると判断して行われたことと考えられるが、イラン側の抵抗、さらにホルムズ海峡閉鎖という石油戦略によって長期化が避けられてなくなった。4月に入って停戦協定が成立したが、NATO加盟諸国の協力が得られないことにいらだちを隠さず、4月6日の記者会見では、NATOは張り子の虎に過ぎないと非難、さらにNATO不信はアメリカのグリーンランド所有に反対してたことたことに始まるとして、脱退をほのめかした。<2026/4/19記> → AFP・BbNews