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トスカネリ

15世紀イタリアの天文学・地理学者で地球球体説を唱え、コロンブスの航海に示唆を与えた。

 フィレンツェの天文学者で、古代のプトレマイオスの地球球体説と世界地図に影響を受けて、西廻り航路で東洋に到達出来ることを提唱し、1474年にコロンブスに説いた。また自ら作製した地図をコロンブスに贈ったという。コロンブスはマルコ=ポーロの『東方見聞録』も読んでおり、インディアスの一部の黄金郷ジパングに行くことを夢見たのだった。

コロンブスへの影響

(引用)23歳の青年まだ生まれ故郷のジェノヴァに住んでいたこの未来の発見者(コロンブス)は、1474年には西廻り航路による東洋到達の可能性について、パオロ・トスカネリと極めて真剣な(曾ては疑問視されたが、今日では一般に本物とされている)手紙のやりとりを始めていた。トスカネリは職業は医者だが道楽に地理学に凝っていたフィレンツェの高名な古典学者であった。彼は特にマルコ・ポーロを崇拝しており、アジア大陸はプトレマイオスが論じたよりも遙か東方にまで拡がっているとするポーロの説に賛成した。と同時にトスカネリは、地球の大きさに関するプトレマイオスの推測値を可としたため、地球の全周は1万8000地理マイルになってしまった。この結果カナリア諸島とキンサイ(杭州)との距離は僅か5000マイルという数字になり――コロンブスはそこへ行きたい一心から、それを更に3500マイルにまで縮めている。当時《印度地方に到る西廻り航路》の熱心な提唱者として隠れもなかったトスカネリは、同じく基本的にはプトレマイオス的地球観の持主でありマルコ・ポーロやジョン・マンデヴィル卿は申すに及ばずピエール・ダイの『世界の姿(イマゴ・ムンディ)』などに強く影響されていたその若い弟子コロンブスに対する信頼を些かも失っていなかった。コロンブスの観念の中にあるこの奇妙な中世的性格は、彼の人となりの実際面、例えば航海者としての卓越した技倆といったものと均衡していたけれども、彼の性格のこうした二面性は、常に心理学者には一つの問題を、歴史学者には解き難い一つの謎を提供し続けて来たのである。<ボイス・ペンローズ『大航海時代』1952 荒尾克己訳 筑摩書房 p.94-95>
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『大航海時代』
ボイス・ペンローズ
荒尾克己訳
『大航海時代』
1985 筑摩書房