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ニュートン

17世紀後半、イギリスで活躍した科学者で、万有引力の法則・光学理論・微積分法などを発見・研究し、近代科学に大きな影響を与えた。

ニュートン
ニュートンと『プリンキピア』初版表紙
 アイザック=ニュートン  Isaak Newton 1642~1727 は、17~18世紀初頭のイギリス科学革命を代表する人物。ニュートンが生まれた1642年は、ガリレオ=ガリレイが死んだ年であった。1665年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジを卒業したが、その年ペストの大流行(黒死病の14世紀以来、二度目の大流行)で大学が閉鎖されたため、故郷に帰り、実家で思索するうちに、重力理論(万有引力の法則)・分光現象に関する理論・微積分法のいわゆる「ニュートンの三大発見」を果たした、といわれている。ニュートンはその後、1668年には反射望遠鏡を考案、1669年にケンブリッジ大学に戻って教授となり、数学と光学を教えながら研究を続け、1687年に主著『プリンピキア』を発表、1701年までその職にあった。ニュートンはその後、ロンドンで造幣局長官などを務め、1703年から亡くなった1727年までロンドン王立協会の会長を務めた。
 ニュートンの生きた時代は、1660年の王政復古後、チャールズ2世ジェームズ2世の反動政治が行きづまり、1688年に名誉革命が起こり、メアリ2世ウィリアム3世の共同統治を経てアン女王の時代となり1707年にイングランドとスコットランドが合同して大ブリテン王国が成立、いよいよ海外植民地を次々と拡張して大英帝国へと進み始めた時期までであった。

ニュートンの学説

微積分法 その間、数学の微分積分法に関する論文を1671年に書いたが、それは仲間内に公表しただけで、広く一般には公開されなかった。そのため、微積分法の創始者は誰か、をめぐって同じく先取権を主張するドイツのライプニッツとの間で、長い論争となる。ライプニッツは1676年ごろに独自に微積分法を編み出し、1684年に最初の論文を発表した。1700年にはプロイセン科学アカデミーが創設され、ライプニッツは初代院長となった。二人は互いに相手の功績を認めなかったが、現在の微積分法で使用される記号はライプニッツが考案したものの方である。
光学 光学の分野では、ニュートンは手製のプリズムを使い光の分散(スペクトル分解)の実験を行い、アリストテレス以来の色を光の変容として説明する「変容説」を否定し、さらに光の粒子説を主張してホイヘンスらの波動説と論争した。この「光と色の新理論」ともいえる光学理論は1704年の『光学』にまとめられた。
力学 ニュートンの名は「万有引力」の発見という力学分野で最もよく知られている。1665~66年ごろに着想を得たというその理論は、1687年には統一的な理論としてまとめたて『プリンキピア』(自然哲学の数学的原理)として発表した。その理論は、はじめて月という天体が、なぜ地球の周りを公転しているか、について「月と地球の間にはたらいている引力」の作用であるとし、同様の引力はすべての物体のあいだにはたらいている」という万有引力の法則とされた。ニュートンの明らかにした数学的方法によって、ケプラーの惑星運動の法則が数学的に証明され、ニュートン力学という体系が生まれた。
『プリンキピア』 1687年にロンドン王立協会から出版されたニュートンの主著『プリンキピア』(自然哲学の数学的原理)の科学史上の意義は次のように説明されている。
(引用)天動説が支配していた時代、天上界と地上界はあらゆる面で峻別されており、運動法則もまた、この二つの世界では異なると考えられていた。これに対し、運動の三つの基本法則(慣性の法則、運動の法則、作用・反作用の法則)と重力(万有引力)の法則を打ち立て、リンゴの落下から惑星の公転までを統一して理論的に記述したのが、……『プリンキピア』である。これによって、初めて、天上界と地上界の運動が、同じ法則のもとに統合されたのである。<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.42>

Episode ニュートンの創造的休暇

 ニュートンが、リンゴの木からリンゴの果実が落ちるのを見て万有引力の法則の着想を得た、というのは有名な逸話であるが、それは1665年から66年にかけて、ちょうど黒死病(ペスト)の二度目の大流行が起こり、イギリスにも及んだため、ケンブリッジ大学が休校になり、やむなくニュートンが田舎に難を避けた時のことだったという。このときの思索で力学上の万有引力の法則だけでなく、光学理論と微分積分法など彼の主要な業績となるアイディアが得られたとされており、これは「已むを得ざる」休暇とか「創造的休暇」と呼ばれ、ペストがもたらした最も大きな成果となったエピソードとして知られている。<村上陽一郎『ペスト大流行』岩波新書 p.180-181>

Episode ニュートンのリンゴ

(引用)いわゆるリンゴの逸話は、フランスの批評家ヴォルテールの創作であり、それが人口に膾炙したものとされている。しかし、問題の木がニュートン家の庭園に1820年の暴風で倒れるまで保存され、その木から椅子が作られたと語っている人もいる。またこの逸話は、ニュートンが地球の引力を発見した経緯を説明するものとして誤って理解されているが、彼が発見したのは、太陽と地球などの惑星や彗星の間、地球と月の間のように、あらゆる物体の間に普遍的に働く万有引力であった。<佐藤満彦『ガリレオの求職活動、ニュートンの家計簿』2000 中公新書 p.213>
 この話はフランスの啓蒙思想家ヴォルテールがその主著『哲学書簡』(1734)の中で伝えており、ニュートンの姪のキャサリンから聞いた。他にニュートンの晩年の主治医だったスュークリーの書いたニュートンの伝記でも彼自身から聞いた話として載っているという。ニュートンが、リンゴは木から落ちるのに、月はどうして地球に落ちてこないのだろう、との疑問から探求が始まったというのはあながち伝説に過ぎないとは言えないようだ。<高野義郎『力学の発見―ガリレオ・ケプラー・ニュートン』2013 岩波ジュニア新書 p.136>

Episode 「最後の魔術師ニュートン」

 ずっと後の1936年、ニュートンの残した膨大な手稿が競売にかけられ、有名な経済学者ケインズがその半分を落札した。ケインズはその手稿に目を通して驚いた。それはほとんどが錬金術に関するノートだったからだ。ケインズは「人間ニュートン」という論文の中で、「数学と天文学とは、ニュートンの仕事のほんの一部にすぎず、最も興味を引いたものではなかった。」と書き、「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなく、最後の魔術師である」と述べた。ニュートンの17世紀は、近代科学の始まった時代であるとともに、古代・中世の残滓を引きずっている時代でもあった。<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.44>
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書籍案内

佐藤満彦
『ガリレオの求職活動、ニュートンの家計簿』
2000 中公新書

小山慶太
『科学史年表増補版』
2011 中公新書

高野義郎
『力学の発見 ガリレオ・ケプラー・ニュートン』
2013 岩波ジュニア新書