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マンチェスター

イギリスのランカシャー地方の商工業都市。産業革命期に木綿工業で繁栄し、急激な人口増があった。

 イギリスランカシャー地方の中心にある商工業都市。中世以来、繊維産業が盛んであったが、特に産業革命が始まると綿工業(木綿工業)の一大産地となって繁栄した。綿織物で栄えたのでコットン・ポリスと言われた。
 また、マンチェスターは自由貿易主義を掲げる政治運動の拠点となり、19世紀前半の穀物法廃止を要求する反穀物法同盟のメンバーである、コブデンブライトなどがこの町から登場した。
 マンチェスターで作られた綿製品はリヴァプールに運ばれ、外国と植民地に運ばれイギリスの主要な輸出品となった。1830年には初の鉄道営業路線としてマンチェスター・リヴァプール鉄道が開通し、綿製品の輸出、原料の綿花、燃料の石炭の入手が一段と便利になった。また、1819年には労働者が議会改革(選挙権の拡大)と穀物法反対を掲げて集会を開いたことに対し、政府が弾圧して死者を出したピータールー事件もマンチェスターで起こっている。また急激な人口の都市集中はマンチェスターでもさまざまな問題を起こしている。

新興都市マンチェスター

 イギリスの都市は自治が認められ、都市当局が市政を担当していたが、マンチェスターはそのような法律上の都市ではなかった。そのため、人がいっぱい集まってきて大きくなっても自治体はなく、マナー(荘園)の一部で領主裁判権が生きている場所だった。人口が多くなっても都市として扱われないのは問題があると言うことになり、ようやく1835年に都市自治体法という法律ができ、その後の1838年、バーミンガムなど他の産業都市とともに自治権が与えられ、市長と市議会が置かれることになった。<川北稔『イギリス近代史講義』2010 講談社現代新書 p.74/近藤和彦『文明の表象 英国』1998 山川出版社 p.169>

マンチェスター学派

 19世紀の前半、マンチェスターは新興工業都市の代表的存在となったが、そのような工業都市の利害を代弁し、自由貿易論を展開した経済思想とそれを主張した人々をマンチェスター学派という。その政治的主張は「穀物法反対」に集約的にあらわされるので、1839年にマンチェスターで結成された反穀物法同盟のメンバーであるコブデンブライトがその中心を担った。
 その経済思想は、16~18世紀の国が産業を保護し関税を管理して貿易黒字を得ようという重商主義を批判し、低関税によって輸出・輸入も増やし、原料を安く輸入して工業製品の輸出を増やし、利潤獲得を自由競争で発展させようという自由貿易主義であった。その思想では、自由な競争は自ずから調整され、公正な社会と平和な世界が実現されると考えため、19世紀後半からの植民地問題、さらに帝国主義段階の世界戦争などを見通すことはできなかった。  → 保護貿易主義
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