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バーミンガム

産業革命期のイギリス中部で、鉄工業などで急速に発展した工業都市。

 イギリス中部、ミッドランドにある工業都市で、周辺に豊富な鉄鉱石と石炭の産地があったことから、産業革命の時期に製鉄などの鉄工業、鉄を材料とした機械工業が発達した。すでに早く1793年にはロンドンと結ぶバーミンガム運河が建設されたが、鉄道時代になってからはロンドン・バーミンガム鉄道が敷設された。人口の都市集中も急激に起こり、1830年代には10万を数え、マンチェスター(17万)、リヴァプール(10万)と並ぶ新興都市となった。しかし、急増する人口に対する都市の整備は進まず、多くの貧しい労働者が煤煙の中でクラスという劣悪な環境が拡がり、「ブラック・カントリー」と言われた。20世紀から現在に至るまで、バーミンガムはイギリスの代表的工業都市として続いている。

選挙法改正運動

 このように急速に発展した大都市バーミンガムであったが、19世紀初頭まで政治的には無権利の状態に置かれていた。イギリス議会の選挙区制度が産業革命前の人口分布で選挙区の区割りがなされていたため、人口が大減少したにもかかわらず議席の与えられるいわゆる腐敗選挙区が多く存在していた。そのため、マンチェスターやバーミンガムには議席が与えられていなかった。それに対してナポレオン戦争終結後の1815年ごろから、選挙法改正を要求する運動が起こり、1630年には銀行家のT.アトウッドらが指導するバーミンガム政治同盟が選挙権拡大を要求して幅広い運動を展開した。その結果、1832年にイギリスで最初の選挙法改正である第1回選挙法改正が実現した。
 その後も、バーミンガムでは労働者の無権利状態が続いたため、労働問題が深刻になっていったため、労働者による権利闘争であるチャーティスト運動も起こされる。
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