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アルジェリア出兵

1830年、復古王政期のシャルル10世が国民の支持を得るために強行した。フランスはアルジェリアを植民地として1962年まで支配する。

 1830年6月、フランス復古王政のシャルル10世は、国内の人気を得るために、地中海の対岸のアルジェリア(16世紀以来、オスマン帝国の宗主権の下にあった)に出兵し、占領した。同時に七月革命が勃発し、シャルル10世は退位しイギリスに亡命した。フランスは七月王制下においてもアルジェリアから撤退せず、それに対してアラブ人首長アブド=アルカーディルによる反フランス闘争が1832年から始まる。1847年、アブド=アルカーディルは捕らえられ、晩年はフランスに協力するようになり、抵抗運動は衰えた。
 その後130年にわたりフランス植民地支配が続き、第二次世界大戦後、アルジェリア民族解放戦線(FLN)による独立運動が始まり、激しい闘争の末、1962年に独立を達成する。 → アルジェリア問題 アルジェリア戦争 

フランスのアルジェリア支配

 フランスが地中海の対岸「アルジェリア」に足がかりを得たのは、復古王政のシャルル10世の時期だった。シャルル10世は国内で自由主義が王権批判を強めているなか、打開策を模索し、1830年6月、数年前にフランス領事がアルジェ太守から扇で叩かれた出来事(扇の一打事件)を口実に持ち出し、5万人の兵を派遣してアルジェ占領に乗り出した。派兵は成功したが、7月には七月革命が勃発し退位しなければならなかった。
 代わった七月王政もまもなく進出の継続を決めたが、1830年代は占領を最小限の地域にとどめることが基本方針だった。しかし、1840年代になると、国王ルイ=フィリップは、アルジェリア占領地拡大が国威発揚につながると考えるようになり、アルジェリア現地住民の反乱(アブド=アルカーディルの反乱)を鎮圧するというかたちをとりつつ、全面的な占領を進め、1847年にはほぼ抑え込んだ。七月王政は1848年二月革命で倒れ、国内では普通選挙の実現、ブルジョワ共和政が実現したが、次の第二共和政臨時政府もアルジェリア占領地拡大を続け、山岳地帯や南部のオアシス地帯なども1857年までには占領し、フランス植民地アルジェリア支配を強化拡大した。
 つまり、フランスのアルジェリア支配は、復古王政→七月王政→第二共和政という、国内の王政から共和政への政体の変化にもかかわらず進められた、ということである。その背景には、七月王政期にフランスの産業革命が進行し、次のナポレオン3世の第二帝政期には、メキシコ出兵・インドシナ出兵・アロー戦争とともにフランス帝国を支える植民地とされていく。