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七月王政

1830年の七月革命によって成立した立憲君主政の政体。ルイ=フィリップがブルジョワの立場での王政を行い、産業革命の進行に伴って成長した労働者の普通選挙要求などを抑えたため、1848年の二月革命で倒された。

 19世紀前半、ナポレオン体制崩壊後のウィーン体制下のフランスで、ブルボン朝復古王政を倒した1830年7月の七月革命によって成立した王政。ブルボン家の分家筋に当たり、開明的であるとされたオルレアン家のルイ=フィリップが国王として迎えられた。政治体制は1830年の憲法に基づく、立憲君主政。議会は制限選挙制によって有産者が多数を占め、上層ブルジョアジーが支配権力を握った。そこで、ルイ=フィリップを市民王、七月王政をブルジョア王政などという。1848年の二月革命まで続く。

フランス産業革命の進行

 この七月王政の18年間はフランスの産業革命時代となり、機械化が進み鉄道の建設が始まった。七月王政下で、1830年6月のアルジェリア出兵によって始まったアルジェリア植民地化をさらに進め、またエジプト=トルコ戦争でのムハンマド=アリーへの支援など、東方問題への介入を強めた。

普選運動などが強まる

 一方、産業革命の進行に伴い、都市の中産階級と労働者階級も形成され、彼らは普通選挙などを要求して選挙法改正運動が始まったが、ギゾー内閣はブルジョワの立場を堅持して改革を拒否した。集会を禁止された市民は改革宴会と称して運動を進めていた。  1848年2月、ギゾー内閣が改革宴会の開催を禁止したことに反発した労働者・市民は、上層ブルジョアジー政権である国王ルイ=フィリップとギゾー内閣への批判を強めてついに蜂起し、二月革命が勃発したことにより、七月王政は倒された。
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