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ロンドン4国条約

1840年、英・墺・普・露の条約で、オスマン帝国の現状維持を約束。エジプト総督ムハンマド=アリーの世襲権は認めたが、シリアからは撤退させる。

 1840年、第2次エジプト=トルコ戦争(エジプト事件)の収束のために開催されたロンドン会議で成立した、イギリス・オーストリア・プロイセン・ロシアの4ヵ国の協定。オスマン帝国スルタン権力の保護をうたい、付属議定書でムハンマド=アリーに対してはエジプトとスーダンの世襲支配権を認めたが、シリアなどの占領地域は返還させた。
 協定を主導したイギリスは、フランス主導のエジプト=オスマン帝国の直接講和を嫌い、フランスを排除し、エジプト(ムハンマド=アリー朝)の強大化(そのシリア支配はイギリスのインド統治の障害になると考えられた)を防ぎ、オスマン帝国の現状維持を狙ったのであり、その利害が他の三国と一致した。七月王政下のフランス(ティエール内閣)は、アルジェリア支配の安定のためにはエジプトの協力が必要と考え、ムハンマド=アリーへの支援を続けていたので孤立した。
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