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イースター蜂起

第一次世界大戦中の1916年、アイルランドで起きたイギリスからの分離独立を目ざす武装蜂起。鎮圧されたが、戦後のアイルランド独立戦争への引き金となった。

 イギリス政府がアイルランド自治法の実施を、第一次世界大戦勃発を理由に延期したことに反発したアイルランド独立運動の急進派が1916年2月、イースター明けに蜂起したが、鎮圧された事件。
 アイルランドの独立要求に対して、イギリスでは妥協案として独立ではなく自治を与えるというアイルランド自治法が出され、たびたび廃案となりながら、ようやく1914年に議会を通過して成立した。ところが、同年、第一次世界大戦が勃発したため、対独戦争に集中するという理由で、政府は自治付与を大戦終了まで延期することとした。多くのアイルランド人はやむを得ないと考えたが、急進派は即時、アイルランド共和国樹立を掲げて蜂起した。

急進派の蜂起、鎮圧される

 主導したのは急進派のアイルランド共和主義同盟(IRB)という、独立と共和制を掲げ武装闘争を辞さないグループだった。彼らは1916年の復活祭=イースター明けの2月24日(計画ではイースター当日の日曜日に蜂起するはずだったが翌日になってしまった)に男女約1000名でダブリン市内で武装蜂起した。彼らはアイルランド共和国の独立を宣言、全土に反乱が広がると目論んでいたが、蜂起は一部に限られほぼ1週間で鎮圧されてしまった。アイルランド人の多くは世界大戦でドイツと戦うイギリスへの愛国心を抱いており、戦争中に分裂すべきでないと考えていたものと思われ、蜂起は民衆の支持を得られずに終わった。
 ところが、イギリスから派遣されたアイルランド軍最高司令官が事件の首謀者を軍法会議にかけてたて続けに処刑してしまった。この拙速な措置がアイルランド人の潜在的な反英感情に火をつけてしまった。首謀者の多くが処刑された中で、デ=ヴァレラは母がアメリカ人でアメリカ国籍も持っていたので処刑を免れた。

シン=フェイン党の躍進

 第一次世界大戦後の1918年末の総選挙で、蜂起の生き残りを含むシン=フェイン党が第一党に躍進するという変化が起こった。しかも当選議員は、ウェストインスターでのイギリス議会に出席せず、ダブリンに独自のアイルランド議会を樹立し、イギリス政府に公然と反旗をひるがえした。それに対してイギリスは軍隊を派遣、アイルランド側も義勇軍を組織し、1919年1月、アイルランド独立戦争(英・アイ戦争)が勃発した。 → 20世紀のアイルランド問題
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