印刷 | 通常画面に戻る |

ルシタニア号事件

第一次世界大戦中の1915年5月、ドイツ軍の潜水艦がイギリス客船ルシタニア号を撃沈した。多数のアメリカ人乗客が犠牲となったため、アメリカのドイツに対する反発が強まった。ついで1917年のドイツの無制限潜水艦作戦の開始を受け、アメリカは4月に参戦する。

 第一次世界大戦のさなか、イギリスの豪華客船ルシタニア号はリヴァプールからニューヨークに向かって航行中、1915年5月7日にドイツの潜水艦Uボートによって、アイルランド沖で無警告で撃沈され、1198人が犠牲となった。その中に128名のアメリカ人がふくまれていたので、当時まだ参戦していなかったアメリカ国内で、世論が開戦に傾くきっかけとなった。そのような状況の中でウィルソン大統領はドイツに対して強硬な抗議を行った。
 アメリカ及び中立諸国ではドイツに対する非難が強まり、イギリスは戦争犯罪であるとして捜査を開始した。アメリカではウイルソン大統領はドイツに対する強硬な手段を執り、参戦もやむを得ないと考えるようになったが、国務大臣ブライアンはドイツとの戦争はアメリカにとって不利益であると主張して辞任し、後任にランシングが就任した。こうしてルシタニア号事件はアメリカの参戦をすぐに導くことはなかった。
 ドイツ政府はそれ以前の1915年2月に、英仏による海上封鎖に対抗するために、イギリス周辺の海域を「戦争区域」とし、イギリスに向かう商船に対して潜水艦攻撃を加えるとを宣言していた。また、アメリカの抗議に対しては、ルシタニア号は補助巡洋艦が偽装したもので、カナダ兵と戦争器材が搭載されているので、アメリカの中立義務違反であると反論した。しかし、ルシタニア号事件に対するびアメリカや他の中立国による国際的非難がますます強まったため、潜水艦攻撃は一旦停止した。

ドイツの無制限潜水艦攻撃

 しかし、1916年になると戦争は長期化し、陸上戦でのドイツの形勢は悪化していった。すると形勢を逆転する唯一の作戦として無制限潜水艦作戦を主張するヒンデンブルクやルーデンドルフなど軍指導者の声が強くなり、1917年2月1日をもって実行を開始した。

アメリカの参戦

 ドイツが無制限潜水艦作戦を開始したことを受け、アメリカ合衆国では参戦が議会で議決され、ついに同1917年4月6日第一次世界大戦への参戦に踏み切った。アメリカの参戦によって第一次世界大戦はまさに世界大戦へと最後のステップを踏み出したが、そのころロシアでは革命の気運が高まり、ロシアの東部戦線からの脱落が焦点となっていく。
印 刷
印刷画面へ