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ザカフカース

カフカース山脈南側一帯。オスマン帝国とイランの係争地であったが、1922年にグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの三国が社会主義共和国としてソ連邦に加わった。

 ザカフカースとは、「カフカス地方の向こう側」という意味で、カフカース山脈の南側一帯を指す。グルジア(ジョージア)、アルメニアアゼルバイジャンの三国があり、長くオスマン帝国とイランの諸王朝(サファヴィー朝・カージャール朝)とが領有をめぐって争う、係争地であったが、グルジアはオスマン帝国領、アルメニアとアゼルバイジャンはカージャール朝のそれぞれ勢力圏に入った。

ロシアの南下

が、19世紀前半に南下政策をとるロシアが侵出してきた。2度にわたるイラン=ロシア戦争の結果、1813年のゴレスターン条約ではグルジアとアゼルバイジャンが、さらに1828年のトルコマンチャーイ条約ではアルメニアの大部分(東アルメニア)がロシアに割譲された。

ソ連邦を構成

 ロシア革命によって成立したソヴィエト=ロシアもザカフカースの支配権を継承したが、アルメニアに関してはブレスト=リトフスク条約でオスマン帝国に統治権を返還した。グルジアはスターリンの出身地でもあったことから早くからソヴィエトが結成され、1918年にアルメニア、アゼルバイジャンとともにザカフカース連邦共和国の独立を宣言した。しかし、イギリスやトルコの干渉によってすぐに三つの共和国に分裂してしまった。1920年からロシアの赤軍が入ってきてソヴィエト政権を樹立、1922年12月に三国はザカフカース社会主義連邦ソヴィエト共和国となり、12月30日にソヴィエト社会主義共和国連邦の最初の構成国の一つとなった。このザカフカースは、1936年にもとの三国に分けられ、グルジア・アゼルバイジャン・アルメニアの各共和国がソ連邦の一部を構成することとなって消滅した。

ザカフカースの民族問題

 この地域はこのようにソ連を構成することとなったが、複雑な民族問題を抱えていた。たとえば、アゼルバイジャン共和国(イスラーム教徒が多い)内のナゴルノ=カラバフ自治州(キリスト教徒のアルメニア人が多い)がアルメニアへの帰属を希望したが、スターリンの介入によってその希望を認められず、ソ連末期の1988年に暴動が起こる。またグルジア共和国内には、ロシアへの帰属を要求するアブハジア自治共和国や南オセチアがあり、その分離運動は現在も続いており、2008年8月にはロシア軍がグルジアに侵攻する事態となっている。
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