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ドーズ案

1924年に出された、アメリカ人のドーズの提案によるドイツの賠償の支払金額減額による解決案。

 第一次世界大戦後のドイツ共和国ヴァイマル共和国)の賠償不履行による賠償問題は、大戦後の平和にとって不安定材料として懸念されていたが、ついにフランスは1923年1月、ルール占領を強行し、危機が深まった。
 アメリカにとっても、ドイツ賠償問題からフランスとドイツが再び戦争という事態になれば、大戦中の債権を回収できなくなる恐れがある。ヨーロッパ経済の復興と安定はアメリカ経済にとっても欠くことはできない。国際連盟にも加盟せず、いわゆる孤立主義外交の原則を守っていたアメリカであるが、経済という面ではヨーロッパへの介入は避けられない情勢となっていた。

賠償金の減額

 連合国側は1921年以来、ロンドン会議で協議を重ねていたが、1924年8月にアメリカの財政家ドーズを委員長とする専門家委員会の提案を受け、新たな賠償方式を決定した。「履行政策」を表明していたドイツのシュトレーゼマン内閣はドーズ案の受諾を表明し、賠償問題の解決の糸口となった。
 「ドーズ案」は、標準の年支払金額を25億金マルクとし、むこう4年間はその金額を減額すること、支払いはドイツ通貨でおこない、外貨の調達は連合国側の委員会が行うことなどとなっていた。ドーズ案は9月に実施され、その結果フランス軍のルール撤退が実現された。また賠償金支払いの見通しが一応ついたので、ドイツ経済も復興するきっかけとなった。
 ドーズは1925年度のノーベル平和賞を受賞した。しかし、賠償金総額は定められず、ドイツは外債によって資金を得ようとして主としてアメリカ資本に依存することとなったのでさらに債務が累積していくという矛盾が生じ、1929年にはヤング案が作成されることとなる。
 また、アメリカ資本に対する依存体質が強まったことは、1929年にアメリカ発の世界恐慌が起きると、ドイツが真っ先にその影響を受け、急激な不況に落ち込み、それがナチス=ドイツの最終的台頭をもたらしたという、負の側面もあった。
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