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ソ連の国際連盟加盟

1934年、スターリン政権下のソ連が国際連盟に加盟を認められた。

 ソ連は国際連盟に対しては、資本主義諸国が「戦争準備を隠蔽するために設けた組織」、あるいは「世界最初のプロレタリア国家を攻撃するために作られた資本主義諸国の合議体」と非難して、それへの加盟を否定していた。しかし、1920年代後半の国際協調気運の高まりの中で、国際連盟主催のジュネーヴ軍縮会議が開催されると、非加盟国のアメリカと共にソ連も参加した。またソ連代表のリトヴィノフは軍縮会議で各国の軍備撤廃を提唱し、1933年には侵略の定義に関する条約を東欧諸国との間で締結している。
 1929年の世界恐慌を契機として1930年代に入るとファシズムの台頭という状況が出てきた。ソ連も1931年に極東で日本が満州事変を起こして大陸への侵出を開始し、1933年にはドイツのヒトラー政権が成立してスラヴ人地域への生存圏の拡大を声高に主張するようになるという、東西双方からのファシズムの脅威をうけることとなり、それまでの姿勢を転換して資本主義国との提携に転じた。1932年にはポーランド、エストニア、ラトヴィア、フィンランド、フランスと不可侵条約を締結、さらに1933年にはフランス、チェコスロヴァキアとの相互援助条約を締結し、安全保障をはかった。また、1933年にはアメリカ合衆国がようやくソ連を承認した。その一方で、同年には3月に満州国建国を認められなかった日本が脱退、10月には軍縮会議で軍備平等論が認められなかったことを口実にドイツが脱退し、国際連盟の集団安全保障の機能は著しく動揺していた。
 そのような中、日本・ドイツと入れ替わる形で1934年9月にソ連が国際連盟に加盟に踏み切った。さらにファシズムの脅威が高まると、翌1935年のコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術を提起してブルジョワ自由主義勢力、社会民主主義勢力との提携を指示するようになった。
 その後、ソ連は第二次世界大戦勃発後の1939年11月にフィンランドに侵攻し、ソ連=フィンランド戦争を起こしたことによって、12月に国際連盟を除名される。
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